『般若心経秘鍵』に学ぶ ⑦
~風葉に因縁を知る 輪廻幾ばくの年にか覚る
露花に種子を除く 羊鹿の号 相連なれり~
私たちは日々の生活の中で、泣いたり、笑ったり、喜んだり、怒ったりと様々な感情を持って暮らしています。そのような一瞬一瞬に変化していく心のあり方を、仏教では迷いと悟りの世界として表現し、それらを段階的に十種に分けて十界といいます。迷いの世界とは、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上の六種で六道といいます。悟りの世界とは、声聞・縁覚・菩薩・如来の四種で四聖といいます。
お大師さまは、この十界の悟りの世界である声聞と縁覚について「風に散る木の葉を見ると因縁の理を知る。生と死の輪廻の苦しみからいつになったら逃れることができるだろうか。花の上の露のようなはかなさを見て、やっと煩悩の種子を除くことができるが、それらは縁覚という羊、声聞という鹿のような乗り物と名づけられる」と申されています。
私たちは、良いことがあれば、それが永遠に続いてほしいと願いますし、生死についても、死ぬことなくずっと生き続けたいと思います。しかし、この世は無常であります。お大師さまは、私たちが日常で見る当り前の現象である風に散りゆく木の葉、花に見る結露の水滴のはかない様子から、悟りの世界である縁覚と声聞を感じ取り、それらを羊と鹿と称されています。
縁覚とは落葉などの天地の自然の変化という縁によって悟ることを意味します。事が起こるには、必ず原因がありますが、それだけで結果はでないはずです。例えば、花を咲かせるには、まず種を蒔きます。しかしそれだけで花は咲くでしょうか。太陽の光や雨の恵みを受けて、時が経ち、やがて芽が出て、葉をつけてようやく美しい花は咲くものです。そのように自然の変化のなかにはたくさんの因縁があって、花を咲かせるという結果となります。その因縁が積み重なって今の自分があるということを世の無常を通してよく理解して悟ることを縁覚といいます。
声聞とは仏さまの声(教え)を聞いて、その通りに教えを守って悟ることを意味します。私たちは、何か習い事、例えば、書道を習うときには、先生の教えをよく聞き学び、鍛錬して字が上達します。書道だけではなく、どんな道を行くにしても、師と仰ぐ人の存在は不可欠です。仏教ではその拠りどころとなる先生がお釈迦さまとなります。お釈迦さまは、私たちの苦しみの原因は執着する心であると説きます。その心を脱するには八つの正しい道があり、その道を行くには正しい生活をしなければならないといわれます。その正しい生活が戒律であり、それを守ることにより執着のない安らかな心を得ることができるのです。そのように仏さまの教えをよく聞き守り悟ることを声聞といいます。
私たちは、一喜一憂する日々の暮らしの中では常に心が変化するため、仏さまのような一定した安らかな心の状態にはなれません。しかし、一歩足を止め、何気ないことではありますが、風に散る木の葉、花の上の結露の水滴を見るような心の余裕を作ることで、自分自身を見つめ直すことができるのではないでしょうか。悟りの世界というと、遠く離れたところのように思われるかもしれませんが、お大師さまは、自然の摂理を通して、身近なところから縁覚・声聞という悟りの世界に到達できる鍵があるということを私たちにメッセージとして与えてくださっているように思います。