『般若心経秘鍵』に学ぶ ⑭

 

⑬号までお大師だいしさまの著作ちょさくである『般若心経秘鍵』のお言葉に触れてきました。本号では、通称つうしょう上表文じょうひょうぶんとされる一文の冒頭に触れながら、お大師さまの御教みおしえと嵯峨天皇さまの大御心おおみこころあおたてまつり、本号をもってむすびとさせていただきます。

 

【原文読み下し】

時于ときに弘仁こうにん年のはる 天下てんか大疫たいえき
ここ帝王ていおうみずか黄金おうごん筆端ひったん
紺紙こんし爪掌そしょうにぎって 般若心経はんにゃしんぎょう一巻いちかん書写しょしゃたてまつりたまう

【現代語訳】

時は弘仁九年(八一八)の春、全国的に疫病えきびょうが大流行しました。
そこで嵯峨天皇さまは自ら金泥こんでいふでの先にめて
紺色こんいろの紙をたなごころにぎられて般若心経一巻を浄写じょうしゃされました。

 

この文の一行目の通り、千二百年前の平安時代初期のこの頃、全国的に飢饉ききんによる疫病えきびょうが大流行し、嵯峨天皇さまはそのような国家の危機ともいえる状況を「ちん不徳ふとくのいたすところである」とおおせになられ、大変お心をいためておられました。そのような折、ご厚誼こうぎのありましたお大師さまが、嵯峨天皇さまに般若心経の功徳と写経による祈願を親しく進言しんげんされました。

お大師さまの御教えにより、嵯峨天皇さまは「般若心経のさとりの法門ほうもん帰依きえする」と仰せになられ、紺紙(紺色に染められたきぬ糸の綾織あやおり物)に金泥で般若心経を浄写されました。この時、嵯峨天皇さまは一文字書くごとまこと礼拝らいはいささげ、民衆の幸せと安心あんじんを祈り、お大師さまはこの大覚寺の地、嵯峨御所において不動明王ふどうみょうおうを中心とした五大明王ごだいみょうおうに祈願されました。そして、嵯峨天皇さまのめいによって、般若心経がいかなる経典きょうてんであるのかということを宮中きゅうちゅう御講讃ごこうさんされたのでした。そのような功徳によって平安が取り戻されたと伝えられています。

 

【原文読み下し】

一字一文いちじいちもん法界ほうかいへんじ 無終無始むじゅうむしにして心分しんぶんなり

【現代語訳】

般若心経の一字一文はほとけさまの世界に遍満へんまんして、
終わりも始めもなく私のこころの中にある。

 

前号においてお大師さまの上記の御言葉について触れましたが、嵯峨天皇さまが万民ばんみんの幸せを願う大御心は、まさに嵯峨天皇さまがお大師さまの御教えを一字礼拝の写経として実践じっせんしたその利益りやくとして、万民に安心を与え、闇夜やみよ日光にっこう赫赫かくかくと輝くかのような霊験れいげんあらたかな仏さまのやすらかな世界がそこに遍満したということが想像できましょう。

そのような、お大師さまの御教えと嵯峨天皇さまの大御心が一体いったいとなった般若心経が、至宝しほうとして大覚寺の心経殿しんぎょうでんに勅封され奉安ほうあんされているのです。勅封とは天皇さまの命令によって封印されることをいいますが、このことからも大覚寺の至宝を超越ちょうえつした、国家の霊宝れいほうともいうべき写経としてあがめられ、今に伝えられていることが分かります。

その心経殿の扉の上には、閑院宮載仁かんいんのみやことひと親王さまが篆書体てんしょたいの文字でお書きになられた建物の名『心経殿』をしるす大きな扁額へんがくかかげられています。心経の『心』という文字は中国古代の象形文字で、心臓の形から作られた字であります。閑院宮さまがお書きになられた『心』という字には、はっきりとその形が残っています。この『心』という字に込められた想いは、私たちのいのちの象徴であり、中心であり、また心の拠りどころであると解釈できます。

霊宝である勅封般若心経を奉安する心経殿は、大覚寺の般若心経信仰の中心であります。また、嵯峨天皇さまの大御心が、今もなおその勅封般若心経に連綿れんめん宿やどり続けており、その功徳はいよいよ輝きを放ち、私たちの心のりどころとしてお大師さまの御教えを示しくださっているように思えます。

どうぞ、皆さまにおかれましては、平成三十年に御開封ごかいふうされる記念すべき法会の期間に、是非とも大覚寺をご参拝いただきまして、嵯峨天皇さがてんのう宸翰しんかん勅封ちょくふう般若心経はんにゃしんぎょうはいしていただき、嵯峨天皇さまの大御心とお大師さまの御教えを感じていただければさいわいにぞんじます。

 

※参考文献
中村元『仏教語大辞典』東京書籍、一九七五
福田亮成『般若心経秘鍵』ノンブル社、二〇〇一
村岡空『般若心経秘鍵入門』大覚寺出版部、二〇〇四