天神島のおはなし

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天神島

みなさん、学問の神様で高名な菅原道真公はご存知でしょう。京都に「北野の天神さん」で有名な北野天満宮という道真公をお祀りしている有名な神社がございますが、受験シーズンともなると大勢の受験生の合格祈願で賑わっております。

この大覚寺でも大沢池の島に道真公をお祀りしておりますが、その島を「天神島」と呼んでおります。伝えによるとその理由が意見深長でございまして、大覚寺の縁起に関係して参りますのでその辺からお話し申し上げます。

大覚寺は、嵯峨天皇が建立された離宮嵯峨院を起源とし、お孫さんにあたる恒寂入道親王を初代門跡(住職)としてお寺に改められましたが、この方、実は順当にいけば天皇になられるお立場だったんです。それが、承和の変に代表される藤原一族の政争に巻き込まれ、ついには皇太子の身分を廃立されお命の保証までない、という立場に追い込まれました。亡き祖父の嵯峨天皇・父の淳和天皇の期待を一心に受け、幼少の頃よりそれに応えておられた立派な親王でした。母の淳和太后がこの出来事に対していかに落胆されたか、不運な我が子の最後のよりどころとして、父の嵯峨天皇がこよなく愛された嵯峨の離宮をお寺にし、息子である親王を守ろうとされたのです。それに尽力されたのが道真公で、離宮を大覚寺にするべく上奏文を起草されました。そうして無事、勅許を得て「大覚寺」が誕生し真言宗の寺院として再出発したのです。以後、明治の初頭まで代々天皇もしくは皇統の方が門跡(住職)を務められた、格式高い門跡寺院として今日に到ります。

と、ここまでは大覚寺に詳しい方ならご存知でしょうが、ここから先が意味深長なお話です。

では道真公を天神島にお祀りしているのは、大覚寺誕生の為に上奏文を起草し尽力した功績に依るから、と考えるのが妥当ですが別の理由があるという伝えがございます。なんと、この天神島は悲運の初代門跡恒寂入道親王・淳和太后母子の墓所であるという説です。このおふたりの墓所に関しては諸説ございますが、それはどうやら当時の豪族の首長の古墳の可能性が非常に高いそうです。となると、墓所の所在が不明となります。そこで天神島に墓所があるのでは、という説が真実味を帯びて参りました。もしそうであれば、奇妙に符合するいくつかの事実がございます。

第一に大覚寺第三代門跡である定昭の墓所が、大覚寺の古文書によれば「定昭之墓、今の大沢の中、菊嶋是れ也。永く法流を守るべしと、遺告して猶しも誦経の声有り」とあり、大沢池にある菊ヶ島がそれであると書かれております。菊ヶ島は、いわば天神島を守る島(守家)です。菊ヶ島に眠る定昭は、いったい誰の墓所と法流を守るのかを考えると、それは憤死されたといってもよい恒寂母子のためではないか、と考えられます。

第二に大覚寺創建にあたり上奏文を起草し、俗別当(俗人身分のままで寺院統轄の責任者)にまでなった道真公の霊を祀るかたちで天神島には祠(ほこら)があるけれども、これは母子の怨霊を、最後は左遷され波乱の生涯を閉じ怨霊の権化と言われた「菅原道真」公の怨霊で鎮めること、すなわち、「毒をもって毒を制する」意味ではなかったか、という観点からも想像できます。

大覚寺にお参りの際には、是非、天神島に立ち寄りこのような伝えがあるという思いで道真公の祠にお参り下さい。あわせて、恒寂母子の安らかな眠りを祈念頂ければ幸いでございます。

※参考文献 村岡 空著『嵯峨大覚寺』朱鷺書房