『般若心経秘鍵』に学ぶ ①
~文殊の利剣は諸戯を絶つ~
文殊菩薩さまは智慧を司る仏さまで、その智慧の象徴として右手に鋭利な剣を持っておられます。この剣を振って諸戯という無益な議論を絶つのであります。私たちは真実が分からないにもかかわらず「ああでもない」「こうでもない」という議論を繰り返す時がありますが、そんな無益な議論を仏さまの智慧によって、正しい道に導くために一刀両断するのが文殊の利剣であります。
大覚寺の御影堂 (心経前殿)の正面向って右側には秘鍵大師像が安置されています。このお姿は、般若心経の真理を明かすお姿であります。このお大師像は同じく右手に剣をお持ちになっておられます。私たちの悩みを救うために文殊の利剣の形として示されて、他の大師像とは違うお姿であります。お大師さまご自身が文殊菩薩さまとなって般若心経の教えを解き明かして、私たちに正しい道を教え示してくださるご誓願のあらわれなのであります。
~覚母の梵文は調御の師なり~
覚母とは、あらゆる経典の母に喩えられる般若菩薩さまのことであります。般若菩薩さまも智慧を司る仏さまで、左手には、その智慧の象徴として梵篋という梵文を納めた篋を持っておられます。梵文とは梵語の経典のことであります。甚深なる仏さまの教えを記した経典は、収まりがつかない私たち衆生の心を調教師のように、調節、制御してくださるものだとお大師さまは説かれています。私たちの心が落ち着かなかったり、不安であったりしても、般若心経を読誦し、お写経した後には不思議と安らかな気持ちになるのは、そういうことなのでありましょう。
~チクマンの真言を種子と為~
チクマンとは梵語で、密教においては梵字一文字によって仏さまを表示するのが種子であります。チクとは般若菩薩さま、マンとは文殊菩薩さまのことであります。また、種子は私たちの心中にある仏さまになりうる可能性の種をあらわしています。種を撒くと、やがて天地の恵みを受けて、成長して花開くように、私たちの心の種もきっといつかは美しい花を咲かせることでしょう。般若菩薩さまと文殊菩薩さまのお心を観じて、般若心経を読誦し、お写経することが大切であります。
~諸教を含蔵せる陀羅尼なり~
小さな子供が怪我をして泣いている時に、親が「痛いの、痛いの、とんで行け」というおまじないの呪文のようなものを唱えて、怪我の部分を擦ってあげると子供が見事に泣き止むことがあります。子供にとっては、意味の分からない言葉であっても、親の心がきっと通じるのでしょう。陀羅尼とは、仏さまのお力がこめられた不思議な呪文のようなものとお考えいただいたらどうかと思います。
「般若心経の意味が分からないのに読んでもいいのでしょうか」という質問をされることがありますが、それでもよいのであります。自分自身の心に願いをもって念じながら読誦し、お写経すると、般若心経の陀羅尼としての力が発揮されるのであります。たしかに、前提として意味を理解することは大切なことでありますが、般若心経に説かれる甚深なる仏さまの教えは、もうすでにそこに含まれているのであります。般若心経という陀羅尼を読誦し、お写経することで、悩みのもとである無明を破り、そこに安らぎの明の世界が感じられるのであります。