『般若心経秘鍵』に学ぶ ③
~痛狂は酔わざるを笑い、酷睡は覚者を嘲る。
曾て医王の薬を訪わずんば、何れの時にか大日の光を見ん~
泥酔した人が酔っていない人を指さして笑い、平気で寝坊をするような人が早寝早起きをして真面目に日々を送っている人をバカにする。そのような光景はお大師さまがおられた一二〇〇年前も現代もさほど変わらないことに驚きます。また、私たちは自分の都合の良いように考えて、正しく物事を判断することができないというようなことは日常茶飯事なことであります。お大師さまは、そのような私たちに「医師の薬を服用しなければ病は治らないように、仏さまの教えを信じ実践しない限り大日如来の覚りの光を見ることができないでしょう」と申されています。
大日如来とは真言宗のご本尊です。大日如来とお釈迦さまの関係は次のようになります。ご存じのようにお釈迦さまは今から二五〇〇年ほど前にインドに実際におられた歴史上の人物です。三十五歳でお覚りになり、人々に説かれることになった教え(仏教)は、永遠不変の真理、つまりお釈迦さまがお覚りになる以前から未来永劫かわらない宇宙の真理と信じられ、広まりました。万有引力はニュートンの発見以前から存在していました。それと同様に仏法の説く不変の真理は、元からあったものを、尊いご縁を得たお釈迦さまが初めてお気付きになったものと考えられたのです。
お釈迦さまがお覚りになった不変の真理を「法」と呼び、その法に人格を与えたのが「法身」、つまり「仏法そのもの」を尊形(人の姿)で表したものを毘盧遮那如来といい、その智慧と慈悲が大いなる光のように一切の衆生を昼夜の別なく遍く照らすことから「大日如来」ともいわれます。
仏教をお開きになられたお釈迦さまも、お大師さまもこの大日如来の真理を覚られて仏さまとなられたわけですから、私たち誰もが仏さまになりうる可能性の種を持っているということができます。お大師さまは、そのような私たちに誰でも大日如来の光を見る機会があるということをこの一文に込められています。その第一歩が、医王の薬、すなわち仏さまの教えに心を向けるという信心であると私は思います。
~翳障の軽重、覚悟の遅速の若きに至っては、機根不同にして、性欲即ち異なり~
ここでは、お大師さまは、私たちそれぞれの人間性についての深い洞察を申されています。冒頭の翳障という言葉の翳とは衣笠、障とは防ぐという意味でありますので、今で言うところの傘のことであります。私たちが雨の時に使用する傘にも軽いものと重いものがあるように、覚りへの障りとなる煩悩の多い人少ない人がおり、覚りに到るのにも遅いものと速いものがいるというたとえです。実在のお釈迦さまは三十五歳の時に、菩提樹の下にて覚りを開かれましたし、日本仏教の各宗派のお祖師さま方も覚られた年代には違いがありましょう。
それはなぜかと申しますと、人それぞれ機根(人間の性質や能力)は同じではなく、性欲(性格や求めるもの)も人によって異なるからです。そのため覚りにも遅い速いが出てくるわけです。しかしお医者さんが患者さんの病気に合わせて薬を処方するように、仏さまの教えは、私たちの機根や性欲に応じてその道筋は違えども、大日如来の光明に照らされた世界へ導いてくださるのであります。
お大師さまの『般若心経』についての解釈はまだまだ広がって参りますが、次号に続きます。