写経・写仏

心経写経の根本道場

平安時代、時に弘仁9年(818)の春、世に大飢饉による疫病が広まり多くの人々が大変な苦しみを受けられたとき、帝であられた「嵯峨天皇」は真言宗の宗祖「弘法大師」のお勧めにより、自ら紺紙金泥で一字三礼の誠を尽くして、般若心経一巻を浄写し奉られました。

あわせて弘法大師は、嵯峨御所の五大明王に天下泰平を祈祷されたところ、霊験がたちまちに顕れ、人々に平安がおとずれたと伝わります。

この由縁をもって、嵯峨御所大覚寺は心経写経の根本道場といわれるのです。

その嵯峨天皇の般若心経は霊経として崇められ、弘仁9年が戊戌の年であったことから、同じく戊戌の年(60年に一度)にのみ開封して天下泰平を祈る慣例となり、開封には天皇自らか名代たる勅使の手に拠ってしか開封してはならない勅封という特別な封印がなされました。

その後の歴代天皇も嵯峨天皇のお写経に倣って、大きな天災のたびに自ら般若心経のお写経をなされて国の平静を祈願され、現在は大覚寺の心経殿の中に、嵯峨天皇をはじめ後光厳・後花園・後奈良・正親町・光格と六天皇ご直筆の般若心経が秘蔵されていて、非公開とされています。 それもただの秘蔵ではなく天皇の命により勅封心経となされました。

 お写経で書き写す「般若心経」を、真言密教の教理によって深秘に解説された書物として弘法大師著作の『般若心経秘鍵』がございますが、大覚寺では弘法大師が般若心経を講読されてる様子をお姿にした「秘鍵大師」をお祀りしております。

秘鍵大師の御影
秘鍵大師の御影