一切いっさい衆生しゅじょうはみなこれわがおやなり」

 

本年(平成二十七年)の春、五十日間にわたり高野山開創こうやさんかいそう千二百年記念大法会が厳修ごんしゅうされたこと、報道等でご覧になった方もおられるでしょう。

お大師さまは、高野山を開かれた後、母君の玉依御前たまよりごぜんさまを山のふもとにお招きされ、たびたびおたずねになり、親しくご歓談かんだんなされたと伝えられています。

玉依御前さまの住まいだった場所が現在の慈尊院じそんいんで、お大師さまが月に九度、母君を訪ねに高野山を降りられたという故事から周辺は九度山くどやまと呼ばれるようになりました。

お大師さまが繰り返しお説きになられた教えの中で「四恩しおん」があります。

経典に出てくる四恩は㈠父母ふぼ・㈡国王こくおう(世の中を動かし維持いじする役割の人々)・㈢衆生・㈣三宝さんぽう(仏・法・僧)の恩のことを指し、第一に父母の恩が説かれます。

両親より身体をさずかり、はぐくまれ、学習や修行の機会を与えられ、何かと気にかけられ、時に案じられながら人は成長していき、その中で様々な人や物事と関わりを持つようになるものでしょう。がたき仏法にれることができるのも、父母がおり、人として生み出されたからなのです。

お大師さまが、たびたび山を下り、母君をお訪ねになったのは、そのご恩への感謝の気持ちからだったのでしょう。

さらに、お大師さまは「一切の衆生はみなこれわが親なり(この世の生きとし生けるものは、自分の父母である)」とされています。

三つめの「衆生」とは、世の中の生きとし生けるもの全てを表します。自身が父母から生まれたように、人は様々な「関わり(縁)」の中でおかげを頂いて生きています。お互い知らぬ間につながり合っている衆生は、自分を生かしみちびいてくれる父母と同様の存在なのだと、お大師さまはお感じになられたのでした。

自身の親のみをうやまうだけでなく、さらには一切の衆生にも父母同様にその恩を感じられたお大師さま。その御心みこころに近づきたいものです。

 

※衆生への恩を説くお大師さまの教えは「仏経を講演して四恩の徳を報ずる表白」(性霊集巻第八)・「教王経開題」等、著作に複数みられます。