『般若心経秘鍵』に学ぶ ⑬

 

一字一文いちじいちもん法界ほっかいへんじ 無終無始むじゅうむしにして心分しんぶんなり~

上の般若心経秘鍵の一節は、お大師さまの般若心経に対する讃嘆さんたん御言葉おことばで「般若心経の一字一文はほとけさまの世界に遍満へんまんして、終わりも始めもなく私のこころの中にある」と申されています。

この一節にでてくる法界とは、真理しんりの世界で仏さまの世界を意味します。皆さまがお書きになられている般若心経の一文字ひともじ一文字はただただ願いを込めて読誦どくじゅ写経しゃきょうしているだけではなく、それは満天にきらめく星のように仏さまの世界にあまねく満ちみちていて、さらにその仏さまの大宇宙のごとき、きらびやかな世界は、私たちの心の中にあるというとても壮大そうだいな世界観をお大師さまはご教示きょうじされています。私たちは仏さまの教えやその世界が、あたかもどこか遠いところにあるように思ってしまいますが、その答えをすでに般若心経秘鍵のなかで述べられています。以前このシリーズのVol.②でご紹介しましたが、再度しるします。

 

仏法ぶっぽうはるかにあらず、心中しんちゅうにしてすなわちかし~

お大師さまは、その答えとして「仏さまの教えははる彼方かなたの遠いところにあるのではなく、私たちの心の中というとても近いところにある」と申されています。人がくなれば僧侶が丁重ていちょう読経どきょうするお葬式そうしきをして、故人こじんはご先祖せんぞさまのおられる幸せな仏さまの世界におもむかれる、そのようなイメージが一般的かもしれません。にをえ、終わりもなければ始まりもない仏さまの教えや世界が私たちの一番近いところ、すなわち心の中にあると申されているのです。

簡単に実感できませんが、それは、私たちの「心のありよう」によります。心が明るく満たされていれば仏さまのような世界を観じることができましょうし、逆であれば生きながらにして地獄じごくくるしみをあじわっているような気持ちになることさえあるのです。私たちが般若心経を読誦・写経するとき、およそどのような気持ちでするでしょうか。そこには懺悔ざんげの気持ちがあったり、今ある自分への感謝の気持ちであったり様々さまざまでしょう。また、その願いは自分や他人の不幸ふこうではなく、しあわせを願ってのものでしょう。そのような皆さまの幸せを祈るあたたかな「心のありよう」は仏さまになるたねということができます。皆さまの温かな願いが込められた般若心経の一文字一文字はその種に栄養えいようあたえ、やがて夏に咲く蓮のように美しい花を咲かせるはずです。美しい蓮や夜空に輝く星を見ると気持ち安らぐように、写経の功徳による安らぎが心のなかに広がり満ちている状態がお大師さまの申される法界といえるでしょう。

また「心」は、「ココロ」だけでなく、私たちきとしけるものにとって重要な臓器ぞうきである心臓しんぞうという意味があります。心臓は私たちいのちの象徴であります。自分をふくめたすべての命を大切にして心豊こころゆたかに生きることは、心に美しい花を保つための栄養となり、星が輝くための原動力となるのです。

お大師さまが申されている「心分しんぶん」には、そのような温かな「心」と命の象徴としての「心」の二つの意味があるのではないでしょうか。皆さまご承知のように千二百年前に都に疫病が流行したとき、大覚寺ご始祖しそ嵯峨さが天皇さまは、国民の安寧あんねい祈願きがんして般若心経を浄写され、その霊験によって多くの人々の命が救われたと伝えられております。お大師さまがご教示になられたこの二つの「心」は嵯峨天皇さまがお写経に込められ『大御心おおみこころ』として平安のを遍く光で満たしたにちがいありません。