境内のご案内

Precincts
境内図
宸殿

①宸殿(しんでん)

江戸時代、後水尾天皇より下賜された寝殿造りの建物。
天皇に入内された徳川2代将軍秀忠の娘、東福門院和子が、女御御殿の宸殿として使用していたもの。妻飾り、破風板、天井などに装飾がこらされている。廊下・広縁はすべてうぐいす張りとなっている。

御影堂

②御影堂(みえどう)

大正14年建造。大正天皇ご即位に際し建てられた饗宴殿を式後賜り移築したもの。心経殿の前殿であり、内陣正面は心経殿を拝するため開けてある。内陣左右に嵯峨天皇、秘鍵大師(弘法大師)、後宇多法皇、恒寂入道親王など大覚寺の歴史に大きな役割を果たされた方々の尊像を安置する。

正寝殿

③正寝殿(しょうしんでん)

12の部屋をもつ書院造り。南北に3列の部屋が配置され、東列は、「剣璽の間」「御冠の間」「紅葉の間」「竹の間」、中央列は、「雪の間」「鷹の間」、西列は「山水の間」「聖人の間」を並べ、その南と東に狭屋の間を配置する。上段の間は後宇多法皇が院政を執った部屋で、執務の際は御冠を傍らに置いたことから、「御冠の間」と呼ばれている。南北朝媾和会議が、ここで行われたと伝わる。

五大堂

④五大堂(ごだいどう)

江戸時代中期(天明年間)創建。現在の大覚寺の本堂。不動明王を中心とする五大明王を安置する。大沢池のほとりに位置し、正面5間、側面5間。正面には吹き抜けの広縁がある。大沢池に面する東面には、池に張り出すように広いぬれ縁(観月台)があり、大沢池の眺望がすばらしい。
正面中央は双折桟唐戸、両脇各2間は蔀戸となっている。

村雨の廊下

⑤村雨の廊下(むらさめのろうか)

諸堂を結ぶこの回廊は、縦の柱を雨、直角に折れ曲がっている回廊を稲光にたとえ、「村雨の廊下」と呼ばれる。天井は刀や槍を振り上げられないように低く造られ、床は鴬張りとなっている。

勅封心経殿

⑥勅封心経殿(ちょくふうしんぎょうでん)

大正14年、法隆寺の夢殿を模して再建。殿内には嵯峨天皇をはじめ、後光厳、後花園、後奈良、正親町、光格天皇の勅封心経を奉安し、薬師如来像が奉伺されている。

勅使門

⑦勅使門(ちょくしもん)

嘉永年間(1848~54)の再建。門は四脚門とし、屋根は切妻造り、正面および背面に軒唐破風を付け、全体は素木造りだが唐破風の部分のみ漆を塗り、金鍍金の飾り装飾を施している。

安井堂天井雲龍図

⑧安井堂天井雲龍図(やすいどうてんじょううんりゅうず)

京都東山にあった安井門跡蓮華光院の御影堂を、明治4年(1871)に移築。堂内部は、内陣の格天井鏡板に花鳥などを描き、その奥の内々陣の折上の鏡天井に壮麗な雲龍が描かれている。

大沢池

⑨大沢池(おおさわのいけ)

大覚寺の東に位置し、周囲約1kmの日本最古の人工の林泉(林や泉水などのある庭園)。嵯峨天皇が離宮嵯峨院の造営にあたって、唐(中国)の洞庭湖を模して造られたところから、庭湖とも呼ばれる。

心経宝塔

⑩心経宝塔(しんぎょうほうとう)

昭和42年(1967)、嵯峨天皇心経写経1150年を記念して建立される。基壇内部に「如意宝珠」を納めた真珠の小塔を安置する。宝塔内部には秘鍵(弘法)大師尊像を祀る。
大沢池のほとりに位置し、嵯峨野の四季の風景にとけあった朱塗りの端正な姿が美しい。

名古曽の滝跡

⑪名古曽の滝跡(なこそのたきあと)

離宮嵯峨院の滝殿庭園内に設けられたもので、『今昔物語』では百済川成が作庭したものと伝えられる。
平成6年からの奈良国立文化財研究所による発掘調査で、中世の遣水が発見され、現在の様相に復元された。

天神島・菊ヶ島・庭湖石

⑫天神島・菊ヶ島・庭湖石
(てんじんじま・きくがしま・ていこせき)

池中には天神島・菊ケ島と庭湖石があり、この二島一石の配置が華道嵯峨御流の基本型に通じている。池のほとりには、茶室望雲亭、心経宝塔、石仏、名古曽の滝跡があり、国指定の名勝地になっている。

望雲亭

 

⑬望雲亭
(ぼううんてい)

嵯峨天皇から高野山に帰山する弘法大師に贈られた詩「道俗相分かれ数年を経たり、今秋晤語するも亦良縁なり、香茶酌みやみて日ここに暮れる、 稽首して離れを傷み雲煙を望む」より望雲の2字をとって命名された。明治年間に、裏千家のはからいにより建設されたが、昭和48年秋、火災にて焼失。現在の建物は、裏千家の設計により昭和50年「寺号勅許1100年」の記念事業として再建された。有栖川宮家より下賜の家具が使用されている。