2015年11月2日 | 戊戌だより, 新嵯峨野物語

戊戌記念の一環として藤川桂介先生による小説『新嵯峨野物語』が月刊『嵯峨』において連載されてから、すでに8話を数えます。ここで舞台は嵯峨天皇の御代となりました。そこで、サブタイトルを「悲劇の皇太子たち」から「嵯峨王朝史」と改め、お話も次第に壮大な平安絵巻の時代へと突き進んでまいります。引き続き『新嵯峨野物語』をお楽しみ下さいませ。
小説扉絵も睦月ムンク先生の手により、秋の様相を意識した新しい画になっております。「新嵯峨野物語」をお読み頂けるのは月刊「嵯峨」だけでございます。どうぞ、購読のお申し込みやお問い合わせは、お気軽に大覚寺編集課までどうぞ。
2015年9月29日 | 新嵯峨野物語

「新嵯峨野物語」第七話が、月刊「嵯峨」10月号に掲載されました。
冒頭一部をご紹介致します。
桓武天皇の崩御を受けて、皇太子の安殿親王は践祚して平城天皇となられましたが、先帝の遺言によって、その皇太子となられた神野親王は、昨日笠道成との作業を終えて春宮へお戻りになられると、にわかに自分の立場ということについて、考え始めていらっしゃいました。
(いよいよ朝廷を担われるのです。これまで多くの日嗣皇子様が辿られた、悲しい道だけは、どうか辿るようなことがありませんように…)
別れ際に道成が進言してきた言葉が甦ってきて、終日そのことが頭から離れなくなってしまっていたのです。
皇太子となることについては、先帝の遺言であったということが重くのしかかってきたことがあって、何の抵抗もなく引き受けたのですが、果たしてそれでよかったのかと、気にかかり始めてしまっていました。
続きは月刊「嵯峨」10月号にて掲載しております。
月刊「嵯峨」の詳細はこちらから。
2015年9月1日 | 新嵯峨野物語

「新嵯峨野物語」第六話が、月刊「嵯峨」8月号に掲載されました。
冒頭一部をご紹介致します。
平城天皇の皇太子神野親王は、その日も夜明けとともにお住まいの春宮を出られると、
馬寮の用意した駿馬を駆って、お気に入りの嵯峨野の山荘へ向かわれました。
やがて為政の要となる日のために、先帝の為政の足跡に学ぼうと決心なさってから、
その日は六日目になっていたのですが、神野の企てに協力する尚侍の笠道成はいきなり、
「先年、駿河国の不二山がかなり大きな噴火をいたしましたが、足柄道が塞がれてしまったということでございますね」
ごく日常的な話題を取り上げてきました。
あまり突然のことで、神野は戸惑ってしまわれ、兎に角知っていることで話を合わせていらっしゃるしかありません。
「昼は噴煙が上がりあたりは暗く、夜は火花が天を照らすというほどであったということだな」
続きは月刊「嵯峨」9月号にて掲載しております。
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