新嵯峨野物語
2016年7月の記事一覧

「新嵯峨野物語」第十七話紹介

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「新嵯峨野物語」第十七話が、月刊「嵯峨」8月号に掲載されました。

冒頭一部をご紹介致します。

第十七話 「思いを秘めた紫野行幸」

弘仁十三年(八二二)の正月を迎えましたが、朝廷はひき続き厳しい現実と向き合わなくてはなりませんでした。降雨がなく、厳しい日照りが続くという状態なのです。夏を迎えると稲苗が枯れてしまうというのに、田に水を引くことも困難になってしまいますから、その問題を解決するために、貧民を先にして富民を後にさせるというようなことまで決めなくてはならなくなっていたのです。「群神に急ぎ奉幣したのだが、少しも反応しない。『詩経』(五経の一つで中国最古の詩集)にも大変な旱魃が起こってしまい、心配で燻るような気持ちだと書いてある通りだ。朕と皇后は、使用する物を削減しようと思う」(日本後紀)自らの日常を引き締めながら、貧しい者に物を与えて救済したり、疫病が発生した所には、使者を送って救済したりしていましたが、嵯峨帝の意向に沿って公卿たちからも、しばらく俸禄を減じたいという申し入れがありました。政治を司る為政者たちは、みな協力して困難と闘おうとしていたのです。

続きは月刊「嵯峨」8月号にて掲載しております。

月刊「嵯峨」の詳細はこちらから。

「新嵯峨野物語」第十六話紹介

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「新嵯峨野物語」第十六話が、月刊「嵯峨」7月号に掲載されました。

冒頭一部をご紹介致します。

第十六話 「未曾有の危機に学ぶ」

平城時代では禁止されていたことなのですが、旱魃による被害の広がりということについて、嵯峨帝は即位以来富裕な農民の持つ稲を利用して飢えた者たちに貸し与え、機会がきたら返させるということを行って、何とか危機を乗り越えてこられましたが、先年のように飢饉と疫病が重なってしまうと、飢民の救済と税の免除を行ってきたために、国の財は減少してしまって、帝をはじめ為政者たちは追い詰められていたのです。朝廷は畿内の富豪の蓄積されている稲を調べ上げ、それを困窮する者に貸し出して、秋の収穫時に返済させるようにしたり、そうした朝廷の要望に応えて協力してくれた富豪たちには位を与えるというようなことで報いて、何とか危機を乗り越えてきたのでした。

続きは月刊「嵯峨」7月号にて掲載しております。

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