新嵯峨野物語

「新嵯峨野物語」第十六話紹介

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「新嵯峨野物語」第十六話が、月刊「嵯峨」7月号に掲載されました。

冒頭一部をご紹介致します。

第十六話 「未曾有の危機に学ぶ」

平城時代では禁止されていたことなのですが、旱魃による被害の広がりということについて、嵯峨帝は即位以来富裕な農民の持つ稲を利用して飢えた者たちに貸し与え、機会がきたら返させるということを行って、何とか危機を乗り越えてこられましたが、先年のように飢饉と疫病が重なってしまうと、飢民の救済と税の免除を行ってきたために、国の財は減少してしまって、帝をはじめ為政者たちは追い詰められていたのです。朝廷は畿内の富豪の蓄積されている稲を調べ上げ、それを困窮する者に貸し出して、秋の収穫時に返済させるようにしたり、そうした朝廷の要望に応えて協力してくれた富豪たちには位を与えるというようなことで報いて、何とか危機を乗り越えてきたのでした。

続きは月刊「嵯峨」7月号にて掲載しております。

月刊「嵯峨」の詳細はこちらから。

「新嵯峨野物語」第十五話紹介

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「新嵯峨野物語」第十五話が、月刊「嵯峨」6月号に掲載されました。

冒頭一部をご紹介致します。

第十五話 「戊戌の年、天下大疫す」

弘仁八年(八一七)五月のことです。
いさかいのない治政を目指していらっしゃる嵯峨帝にとって、あまりにも想像を超えた不気味な事件が発生しました。舞姫に音楽を教習する内教坊という所に務める女孺(下働きの女役人)であった長野女王と、出雲家刀自女という同室に住む二人についてなのですが、女王の知り合いであった船延福女という者が、突然女王の部屋に寄宿することになったのです。ところがなぜか女王は、延福女の持っているわずかな衣類を見て盗もうと思いたって、その夜彼女が眠ったのを見計らって、家刀自女と謀って紐で首を絞めて殺した上に、顔皮を剝いで宮中の外へ棄てたというのです。実におぞましい事件でした。

続きは月刊「嵯峨」6月号にて掲載しております。

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「新嵯峨野物語」第十四話紹介

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「新嵯峨野物語」第十四話が、月刊「嵯峨」5月号に掲載されました。

冒頭一部をご紹介致します。

第十四話 「それぞれの道程」
民の暮らしが少しでも楽にできないか、いろいろと工夫するように指示をされたり、朝廷を悩ませてきた蝦夷を俘囚(朝廷の支配下に入って、農民として暮らすようになった者)として連れてきて、各国の民と共に暮らせるようにできないかと、いろいろな面で廷臣たちと腐心していらっしゃる嵯峨帝です。それではさぞかし堅苦しい日常をお過ごしなのではないかと思われがちなのですが、実際は決してそんな日ばかりではありませんでした。朝議から離れたところでは、伸び伸びとして気楽に過ごされることもあったのです。

続きは月刊「嵯峨」5月号にて掲載しております。

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