恒寂親王慶讃法会厳修【四国第一教区】
4月19日の記念法会結願座には華道名誉役職者ご参列の中、山川猊下を御導師に四国第一教区・華道総司所役職者・青年部SAGAS・庭湖会による「恒寂親王慶讃法会」が奉修されました。法会は奠供[供華]、散華・対揚[花手前、献華、献菓、献茶]、仏眼咒、般若心経、慶讃文、諸真言、廻向の次第にて執り行われました。
恒寂親王慶讃法会 慶讃文
謹み敬って真言教主大日如来 金剛胎蔵両部界会諸尊聖衆 殊には本尊聖衆五大明王 薬師如来 般若菩薩 当山鎮守五社大明神 別しては嵯峨天皇尊儀 高祖大師を始め奉て 三国伝灯諸大阿闍梨 先師尊霊 歴代尊儀 総じては盡空法界一切三宝の境界に白して言さく
伏して惟みるに 当山は遠く弘仁の昔 嵯峨天皇が離宮を嵯峨院に定め給い 弘法大師を請じては院内に五大明王を祀り 鎮護国家を祈念し給う 紫紺紙に金泥の筆を染めては 写経祈願の範を垂れ給い 文人墨客を集めては 菊花三才の垂訓をとどめ給う
然るところ星霜移りて三十有余年 淳和太皇と皇子の先帝の遺構を三宝に捧げて寺とすべく 別当菅原道真公をして起草せしめ給う
時の帝 清和天皇は叡慮深くよみせられ 勅許して大覚の寺号を下し給う 大覚とは法爾の称号にして法身如来遍照金剛の内証に外ならざるなり
今を去ること貞観十八年 西暦八百七十六年 大覚寺の寺号を賜わり 嵯峨天皇 後の嵯峨上皇の御皇孫である恒貞親王がご出家し 恒寂入道親王と改め 大覚寺開山の祖となり給う
本年 令和八年は 正に寺号勅許壱千百五十年の春秋に当れり
よって茲に 嘉辰を祝して先年来 諸種の記念事業を計画し来る所なり 令和六年には大覚寺の往古の姿を再興せんと欲し 大沢池 舟二叟の改修 新たに名古曽橋を竣工 その他 数々の整備事業を成し遂げんとす
また 令和七年一月より東京国立博物館において 旧嵯峨御所大覚寺百花繚乱御所ゆかりの絵画特別展が開催されるや 天皇皇后両陛下並びに愛子内親王殿下の行幸啓 高円宮妃久子殿下の御来臨を賜り 延べ十九万人もの方々のご来場を頂き 無魔成満す
幸いなるかな 仏天の冥助を蒙り 大覚寺派所属寺院 檀信徒各位 華道関係者諸氏のご協賛を賜り 無事 茲に慶福を見るに至れり
老衲の感激これに過ぎたるは無く 十方拝跪して感謝あるのみ
大覚寺開山の祖 恒寂入道親王は 天長二年 西暦八百二十五年 淳和天皇と皇后正子内親王の皇子としてご誕生され 上根上智の大器にましまして 早くから仏像経論儀軌におきて 恒に護国利人の秘法を修し給う
また 温厚で怒ることなく 才智は抜群で 学を好み 草書隷書に優れ 稀にみる器量の持主であると賞讃された方であられり
仁和元年 西暦八百八十五年 自らの死を悟り 沐浴し衣服を浄め 仏前に焼香供華をし 座禅に入られ 西に向かって結跏趺坐をなされたまま 時に六十歳にて遷化されたと伝えられたり
本日茲に 瑞色景明の吉辰を卜して寺号勅許壱千百五十年記念法会結願にあたり 道場を荘厳し 秘密瑜伽の法莚を開いて 大覚寺派四国第一教区の浄侶を屈請し 恒寂親王慶讃法会を営み 親王の御遺徳を偲びながら 恭しく赤誠を抽んで 般若理趣の秘法を嵯峨御流献華の厳儀をもって奉修し 謹んで倍増威光を懸念し奉る
仰ぎ願わくは 恒寂親王の恩徳に酬い賜り 我らが敬慕と謝恩の念を垂れ給わんことを
重ねて乞う
天皇陛下 聖体安穏 宝祚無窮
宮内安穏 天下泰平 万邦協和
百穀豊饒 万民豊楽 乃至法界
平等利益
維時令和八年四月十九日
大本山大覚寺門跡
真言宗大覚寺派管長
山川龍舟 敬白
- 19日 四国第一教区 法会の様子①
- 19日 四国第一教区 法会の様子②
- 19日 華道役職者ご参列の様子
- 19日 華道役職者・SAGASによる供華の様子
- 19日 花手前の様子
- 19日 庭湖会による献菓
- 19日 庭湖会によるお点前
- 19日 四国第一教区 慶讃文捧読
- 19日 四国第一教区出仕者集合写真








