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寺号勅許千百五十年記念法会【17日】

勅封般若心経慶讃法会厳修【関東教区】

4月17日の記念法会六座目には山川猊下を御導師に関東教区による「勅封般若心経慶讃法会」が奉修されました。まず写経奉納式が行われ、四百四十九巻の写経が奉納され、続いて法会が奉修されました。法会は奠供、般若心経秘鍵、慶讃文、後讃、般若心経、諸真言、廻向の次第にて執り行われました。

寺号勅許千百五十年記念法会
勅封般若心経慶讃法会 慶讃文

 謹み敬って真言教主大日如来両部海会諸尊聖衆 殊には心経殿に安置し奉る嵯峨天皇宸翰勅封般若心経 薬師如来 本尊五大明王 別しては高祖弘法大師三国伝灯諸大阿闍梨耶 当山鎮守五社明神 総じては尽空法界一切三宝の境界に白して日さく
 伏して惟みるに 当山は弘仁の昔 嵯峨天皇が離宮を嵯峨院に定め給い 弘法大師を請じては院内に五大明王を祀り鎮護国家を祈念し給う
 星霜移りて 貞観十八年 淳和太后の奏上により大覚寺と改められ 開祖恒寂入道親王は上根上智の大器にましまして夙に仏像経論儀軌を安きて 恒に護国利人の秘法を修し給う 中興後宇多法皇 外には仁徳を垂れて十善の余暉を耀し 内には密教を伝えて五部の智光を挑げて聖誡廿五の雅訓を遺して竜華三会の伝灯を誓せ給う
 爾来 皇族連綿として法灯を継がせられ 当山最後の宮門主有栖川宮慈性親王は 御歳九歳にして大覚寺亮深大僧正の室に入られ 深く仏教に帰依し諸宗の教理に通じ 志を専ら大覚寺の興隆に用いられ 特に心経殿の復興は親王御一代の念願せられし所也
 恭しく惟みるに勅封般若心経と者 弘仁九年 悪疫蔓延し死屍累々山となし 民庶憂患極まりて嵯峨天皇深く宸襟を悩まし給い 禳疫の叡願を発し十善の尊位を屈して 般若心経一巻一字三礼の宸筆を以て浄写し遊ばされ 檀林皇后は除病の浄願を抽んでて 薬師三尊を描き給う 弘法大師 五覚院にて疾病平癒を熱祷さるるは基より 勅を畏み心経五分を講讃し奉り 聖徳の光を仰ぎて天下の悪疫を払い勝益を万民に頒ち給う
 その後 後光厳天皇 後花園天皇 後奈良天皇 正親町天皇 光格天皇 五柱の天皇は弘仁の嘉躅を紹がせられ 済時の叡信を発し 紺紙金泥を宸筆に染めて心経を写させ給う
 斯の如くにして実に壱千二百年 定めて封を開きて法を修すこと二十度に及ぶ 恩典常に渥くあらせ給い 時艱を克服して霊験著し
 抑々摩訶般若波羅蜜多心経と者 三世諸仏の寳蔵にして十方大士の秘樞なり 文や一紙にして而もその徳究め難く 行や十四にして而もその義説き難し 妙の又妙 玄の又玄なる乎 是の故に五蘊は横に迷境を指し 三仏は竪に悟心を示す 普賢色空に円融の義を演べ 文殊不生に絶戯の観を説く 識界には慈氏心識の本性を解き 境智には観音帰一の内證を説く 十二因縁は麟角の極談にして 四諦法輪は羊車の秘説なり 掲諦に諸蔵の行果を摂して 波羅僧に顕密の法教を蘊む  一 一の声字  一 一の名実 その光明法界に満つるなり
 茲に寺号勅許千百五十年の御年にあたり 改めて大覚寺歴代尊儀諸大徳 殊には 宸翰勅封般若心経を納められた嵯峨天皇を始め五柱の陛下の御心に敬服し 勅封般若心経慶讃法会を勤修し奉る 方に今 一門の竜象を屈して 密壇を飾り六種の妙供を備え 瑜伽の秘法を修して禳難招福を祈り奉る
 仰ぎ願わくは
 天皇陛下 聖体安穏 宝祚無窮
 宮内安穏 天下泰平 万邦協和
 百穀豊饒 万民豊楽 乃至法界
 平等利益

維時令和八年四月十七日
大本山大覚寺門跡
真言宗大覚寺派管長
大僧正 山川龍舟 敬白