新嵯峨野物語「悲劇の皇太子たち」

 

「新嵯峨野物語」第十六話紹介

「新嵯峨野物語」第十六話が、月刊「嵯峨」7月号に掲載されました。 冒頭一部をご紹介致します。 第十六話 「未曾有の危機に学ぶ」...

「新嵯峨野物語」第十五話紹介

「新嵯峨野物語」第十五話が、月刊「嵯峨」6月号に掲載されました。 冒頭一部をご紹介致します。 第十五話 「戊戌の年、天下大疫す」...

「新嵯峨野物語」第十三話紹介

「新嵯峨野物語」第十三話が、月刊「嵯峨」4月号に掲載されました。 冒頭一部をご紹介致します。 第十三話「嵯峨源氏始まる」...

「新嵯峨野物語」第十二話紹介

「新嵯峨野物語」第十二話が、月刊「嵯峨」3月号に掲載されました。 冒頭一部をご紹介致します。 弘仁二年(八一一)正月です。 まだ政変があってからそれほど時も経っていないということもありましたから、治国ということではいろいろと目が行き届かないこともありました。そんな嵯峨帝に、早速のしかかってきたのは陸奥との紛争でした。祖霊光仁、桓武両天皇の時代から朝廷を苦しめ続けていた蝦夷との抗争は、武将坂上田村麻呂の努力で鎮圧されてから、長いこと静かになっていたはずだったのですが、また息を吹き返してきているというのです。  ...

「新嵯峨野物語」第十一話紹介

「新嵯峨野物語」第十一話が、月刊「嵯峨」2月号に掲載されました。 冒頭一部をご紹介致します。 弘仁元年(八一〇)十月、薬子の変の終結を知った空海は、高雄山寺からわざわざ宮中へやってきて、嵯峨院へ「五覚院」という帝の持仏堂を建立したいという請願をいたしました。帝の要請もあった変の鎮静化に貢献した空海の頼みですから、反対はありません。しかもそれが帝の安泰であることを祈願し、鎮護国家を願うためのものであるというのでなおさらのことです。申し出は直ちに許可されると同時に、空海は南都の東大寺の別当にも任じられました。  ...

「新嵯峨野物語」第十話紹介

「新嵯峨野物語」第十話が、月刊「嵯峨」1月号に掲載されました。 冒頭一部をご紹介致します。 平城天皇(現上皇)から譲位されて即位された若い帝は、何かと気ぜわしい日々に追われているうちに、体調を崩すことが多くなっていらっしゃいました。大同五年(八一〇)七月になったころのことです。嵯峨帝はまたまた体調を狂わせてしまったのです。朝廷は古来諸国の国魂を集めて祀っているといわれる、石上神宮へ使いの者を送って病の平癒を祈願させたり、百五十人という僧に七日間薬師法というものを行わせたりさせました。...

「新嵯峨野物語」第八話紹介

「新嵯峨野物語」第八話が、月刊「嵯峨」11月号に掲載されました。 冒頭一部をご紹介致します。 まったく予測しなかった伊予親王の謀反という事件に遭遇して、震撼とさせられてしまった平城天皇でしたが、ようやくその余波も鎮まってほっとしていらっしゃいました。ところが先年から起こっていた飢饉と、そのために発生する死者の数が増えるために、それだけ疫病が広がるという難問を抱えていたのです。大同三年(八〇八)の年明けは、帝にとって大変気が重くなる日々になってしまいました。...

藤川桂介先生執筆「新嵯峨野物語 悲劇の皇太子たち」は
月刊「嵯峨」平成27年4月号より連載予定です。

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