戊戌だより
2017年2月の記事一覧

「新嵯峨野物語」第二十四話紹介

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「新嵯峨野物語」第二十四話が、月刊「嵯峨」3月号に掲載されました。

冒頭一部をご紹介致します。

第二十四話 「時よ、緩やかに歩め」

天長十年(八三三)の七月半ばを過ぎるころのことです。秋になると洪水による被害や、大風の被害が出るので、仁明帝は諸国の神に奉幣して災害を予防するようにという指示をしていらっしゃいました。ところがそうした努力を無にするように、越後国からこんな情報がもたらされるのです。「去年は疫病が流行し、農作は天候が悪く、寒気の到来が早かったため穀物は稔らず、今飢疫が相続きたくさんの者が死亡しています。この凶年のための賑給(朝廷の恩恵を示すために窮民を救うこと)を行っても、百姓は乏しい状態ですので、米の売買を認めていただき、困っている民の助けとしたいと思います」(続日本後紀)今も干天が続いていて、一向に雨が降る気配がありません。朝廷にはそれを解消したくても、神仏の力にすがるしか手立てがないのです。

続きは月刊「嵯峨」3月号にて掲載しております。

月刊「嵯峨」の詳細はこちらから。

有栖川宮慈性親王様の墓所参拝

 年が改まり天皇皇后両陛下をはじめ、東宮御所、各宮家のご機嫌をお伺いする宮中天機奉伺に、1月18日、黒沢全紹門跡猊下、草津栄晋総務部長が参内しました。
大覚寺顧問の戸枝明氏とともに、午前9時30分から皇居、東宮御所、各宮家、宮内庁に参内して新年のご挨拶を行い、修正会で祈願した護符、ご祈祷札と御供物を献上しました。その後、寛永寺内にある大覚寺最後の宮門跡であられた有栖川宮慈性親王様の墓所を参拝し、帰途に就きました。

 有栖川宮慈性親王様は、嵯峨天皇様をはじめ歴代天皇様の勅封心経を奉安する心経殿の建立を願われながら慶応3年12月7日薨去なされた大覚寺最後の宮門跡であられます。平成29年の4月7日には、有栖川宮慈性親王様の月御命日にちなんで御忌法会を執行させていただきます。ご法会は大覚寺門跡猊下を御導師として、嵯峨御流による花手前・供花などと共に雅な中にも厳粛に執行されます。

 

『蓮華殿』天井絵「華曼荼羅」の制作風景!

『蓮華殿』天井絵「華曼荼羅」の制作風景です。

写真の女性は、ロシアから社会人特別研究生として学んでいる留学生のレビナ・アンナさんです。

華曼荼羅が着々と進んでいる様子を見ると完成が待ち遠しいです。

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