五社明神修復工事
遷座法会を厳修
大覚寺寺号勅許(開創)1150年記念事業の一つである大沢池畔の五社明神修復工事に伴い、その遷座法会が6月11日11時から厳修されました。
当日は五社明神社前で山川門跡猊下導師の下、内局並びに僧職員、工事関係者出仕のもと執り行われました。
工事期間は令和6年6月から令和7年3月までで、総工費の約5割は、文化庁の「歴史活き活き!史跡等総合活用整備事業」補助金を活用予定です。
- 五社明神社の遷座法会
大覚寺寺号勅許(開創)1150年記念事業の一つである大沢池畔の五社明神修復工事に伴い、その遷座法会が6月11日11時から厳修されました。
当日は五社明神社前で山川門跡猊下導師の下、内局並びに僧職員、工事関係者出仕のもと執り行われました。
工事期間は令和6年6月から令和7年3月までで、総工費の約5割は、文化庁の「歴史活き活き!史跡等総合活用整備事業」補助金を活用予定です。
令和6年度嵯峨天皇奉献華道祭が4月12日から14日までの3日間、昨年に続き「シン・日本をいける」をテーマに、桜花が残る中、開催されました。
「シン・日本をいける」は、大覚寺寺号勅許(開創)1150年記念事業のいけばな嵯峨御流活性化施策の一つのテーマとしており、「シン」の意味は、新・真・心・信・進・sympathyのsym…等、今の時を未来の世界へ繋いでいく、生きるための行動理念「シン」を伝えていくことを表しています。
最終日の14日には、山川龍舟門跡猊下導師のもと、富山、北陸、富山春陽、能登の4司所合同で31人が出仕し、嵯峨天皇奉献華法会が厳修されました。御宝前には令和5年度に全国の各司所で写経された華供養写経が奉納され、供華、花手前の披露が5年振りに石舞台で行われ、献華の後、庭湖会による献菓、献茶も行われました。
「いけばな体験」も華道芸術学院1階103教室で全日開催され、親子連れや学生、年配者、外国人など幅広い人々が参加し、大変好評を得ました。
3日間とも国内外を問わず、多くの人が訪れ、屋内外共に華やかな中、賑わいを見せた華道祭となりました。
2月6日に檜造りの「名古曽橋」が完成いたしました。鎌倉時代の古絵図[大覚寺伽藍図]からすると約700年ぶりに橋が架けられました。
天神島は、嵯峨天皇の離宮嵯峨院を、貞観18年(876)に大覚寺として開創する際、御願上表に当たって、菅原道真公が奏請の文を起草され、清和天皇より『太后の御願の通り、額を賜い大覚寺と称す。天下に頒行せよ』と詔勅されました。さらに大覚寺が開創した当初は、菅公御本人が俗別当に就かれるなど、当山への多大なるご功績を称える意味でこの島に菅公つまり天神様をお祀りし、この島自体を「天神島」と呼びならわしております。
また、竹林の東にある名古曽滝跡は、百人一首にも詠まれている名勝として知られております。『滝の音は 絶えて久しくなりぬれど 名こそ流れて なほ聞こえけれ』藤原公任 (小倉百人一首 55番)との歌の通り、平安時代には既に滝の流れは途絶えていたそうですが、その滝の石組は古くからこの大沢池北辺に配置されており、この地が御所であった御世にも庭石として珍重されておりました。
この名古曽滝跡が、天神島から名古曽橋を渡ると、遠まわりせずにすぐ行けるようになったのです。
ぜひ大覚寺にご参拝の際は、名古曽橋を渡ってみてくださいませ。