天神島から名古曽の滝跡へ
2月6日に檜造りの「名古曽橋」が完成いたしました。鎌倉時代の古絵図[大覚寺伽藍図]からすると約700年ぶりに橋が架けられました。
天神島は、嵯峨天皇の離宮嵯峨院を、貞観18年(876)に大覚寺として開創する際、御願上表に当たって、菅原道真公が奏請の文を起草され、清和天皇より『太后の御願の通り、額を賜い大覚寺と称す。天下に頒行せよ』と詔勅されました。さらに大覚寺が開創した当初は、菅公御本人が俗別当に就かれるなど、当山への多大なるご功績を称える意味でこの島に菅公つまり天神様をお祀りし、この島自体を「天神島」と呼びならわしております。
また、竹林の東にある名古曽滝跡は、百人一首にも詠まれている名勝として知られております。『滝の音は 絶えて久しくなりぬれど 名こそ流れて なほ聞こえけれ』藤原公任 (小倉百人一首 55番)との歌の通り、平安時代には既に滝の流れは途絶えていたそうですが、その滝の石組は古くからこの大沢池北辺に配置されており、この地が御所であった御世にも庭石として珍重されておりました。
この名古曽滝跡が、天神島から名古曽橋を渡ると、遠まわりせずにすぐ行けるようになったのです。
ぜひ大覚寺にご参拝の際は、名古曽橋を渡ってみてくださいませ。