令和8年厳修
大覚寺寺号勅許(開創)1150年
平安初期、嵯峨天皇がこよなく愛した嵯峨野の地に離宮を造営された。これが大覚寺の前身、離宮嵯峨院であります。
嵯峨天皇は皇弟淳和天皇に譲位の後、離宮嵯峨院を仙洞御所とされ、檀林皇后と共に閑かにお過ごしになられました。嵯峨天皇の皇女であり淳和天皇の皇后となられた正子内親王は、御夫君淳和天皇が承和7年(840)に崩御された後ご出家なされ、承和9年(842)に嵯峨上皇が崩じられてからは、両先帝の菩提を弔いながら過ごされました。
その後30余年が経ち、淳和太后は傷んできた嵯峨院の建物を修繕し雨露をしのぎつつ、尊像を安置し香華をまつり徐々に寺観を整えていかれ、変わることなき追慕の念をもって、自他共に利益せんがための正式なお寺としたいと発願なされました。御願上表に当たり、菅原道真公の起草文を基とした奏請の文を上奏され、貞観18年(876) 2月25日、清和天皇より「太后の御願の通り、額を賜い大覚寺と称す。天下に頒行せよ。」と詔勅されました。そして、嵯峨上皇の御皇孫である恒貞親王がご出家され恒寂入道親王と号し、大覚寺開山の祖となられました。
嵯峨天皇の離宮として建立されて1200有余年。来る令和8年(2026)は、大覚寺として開創されてより1150年。嵯峨天皇が宗祖弘法大師のお勧めにより浄書なされた「宸翰勅封般若心経」を奉安し、そこに込められた鎮護国家・万民守護の大御心を伝え、また大沢池に浮かぶ菊ヶ島に咲く菊を手折られ、その姿が自然に天地人の三才を備えており「後世花を生くるものは宜しく之を以て範とすべし」と仰せになられたことをもって流祖と仰ぐ、いけばな嵯峨御流の総司所であります大覚寺。そのみ教えを伝えて絶えず歩みつづけ、華と心経の寺として信仰を集めてまいりました。その法灯を守り続けてこられた先帝、先人を称え、寺号勅許(開創)1150年の勝縁を迎えるに際し、報恩謝徳の誠を捧げて更に後世へと伝えるために、「大覚寺寺号勅許(開創)1150年記念法会」並びに東京国立博物館において「大覚寺展」・嵯峨御流華道全国司所と総司所の活性化施策・大沢池諸堂等整備(天神島北橋含む)・華道学院改修工事等を行う「大覚寺寺号勅許(開創)1150年記念事業」を計画いたしました。
東京国立博物館での「大覚寺展(仮称)」では、修復された障壁画(重文)や『後宇多法皇宸翰弘法大師伝』(国宝)、『五大虚空蔵像』(重文)、さらには『太刀□忠(薄緑 通称「膝丸」)』(重文)など大覚寺の宝物、什物などを令和7年1月~3月の間展示し、寺号勅許法会のプレイベントとして開催いたします。
嵯峨御流華道全国司所と総司所の活性化施策では、創流1200年を越える由緒ある嵯峨御流が、今後さらに全国で発展してゆく契機となるような行事を企画して参ります。
大沢池諸堂等の整備では、近年毎月の護摩修法をしております「仏母心院」など老朽化した諸堂の補修を行うとともに、できれば「大覚寺古絵図」に描かれている天神島から名古曽滝跡方面に渡れる橋を架け、有料化となった大沢池の新たな見どころとして参りたいと考えております。
華道学院改修工事につきましては、施設全体が経年劣化しており、給排水設備・電気設備・空調設備などのオーバーホールが必要になることが考えられることから、現状調査の上、重点箇所を絞り込み施工いたしたいと考えております。
記念事業予定総額は1億5000万円であります。大変厳しい世相また経済状況の中ではございますが、大覚寺寺号勅許(開創)1150年という節目に巡り合わせた御法縁に感謝し、守り伝えられてきた法灯を皆様と共に後世へと継承すべく、この大事業を遂行してまいりたいと存じます。何卒、この趣旨をご理解の上、格別のご協力を賜りますようお願い申し上げます。
合 掌