令和8年厳修
大覚寺寺号勅許(開創)1150年
令和5年5月より大覚寺門跡に就任いたしました山川龍舟でございます。
来る令和8年に「大覚寺」という寺号を清和天皇から賜ってより、1150年の節目を迎えるという勝縁の年回りに当山門跡である門主に推薦していただき、その重責をひしひしと感じております。
お花と心経の寺と呼ばれるこの大本山大覚寺は、嵯峨天皇の皇女であり淳和天皇の皇后でもあられます正子内親王の発願により、嵯峨天皇の仙洞御所であった離宮嵯峨院を改め寺院となりました。父君嵯峨天皇と夫君淳和天皇の菩提を弔いたいという淳和太后の切なる願いを、後の太政大臣・菅原道真公が上表文にしたためられた下書きが、今も菅家文書に残されております。こうして晴れて清和天皇より「大覚寺」という寺の名前(寺号)が勅命により許されたのです。
こうしたことから大覚寺では、嵯峨天皇、淳和太后、開山の祖であり淳和太后の皇子である恒寂親王、そして清和天皇さらには菅原道真公といった開創当時の方々のご厚恩を今に伝え、この後も変わらず感謝の意を大切にして参りたいと思うものであります。
歴代の門跡は皇室の方々がお就きになり、とりわけ南北朝時代には後宇多法皇が門跡となられ、大覚寺で院政を執られたことにより寺門が甚だ隆盛となりましたことは、中興の祖と仰ぐ由縁でもあります。そのご功績は大覚寺のみならず真言宗全体にわたるものであり、密教興隆の誓願や弘法大師への尊崇の念は、ご宸筆の書によって明らかでございます。南北朝講和に際しては、南朝方「大覚寺統」が北朝方を大覚寺に招き、この地で三種の神器をお譲りになられたという歴史が正寝殿に残されております。
また美しい障壁画で彩られた後水尾天皇妃・東福門院和子の女御御殿の拝領、所縁の四体の像をお祀りしている大正天皇ご即位の際の饗宴殿の拝領など、わが国の歴史と文化がこの地に深く深く刻み込まれて参りました。
嵯峨院で嵯峨天皇が弘法大師とご交誼を結ばれ、大沢池の菊を手折られたことを礎として、大本山大覚寺そして華道嵯峨御流がその法灯を守り伝統を受け継いで参ったその歴史の証として、この寺号勅許(開創)1150年がございます。
皆さま方にはどうぞこの機会に、わが国の歴史の中で重要な場面であり舞台となった大覚寺にお運びいただきますことをお祈り申し上げます。
真言宗大覚寺派宗務総長・大本山大覚寺執行長・いけばな嵯峨御流華道総司所理事長・大覚寺学園嵯峨美術大学理事長を務めさせていただいております堤大恵でございます。
いよいよ令和8年に大覚寺寺号勅許(開創)1150年記念大法会が挙行されます。
この法会は、平安初期に嵯峨天皇が造営された離宮を嵯峨天皇の皇女であられた淳和太后が上奏され、清和天皇の詔勅により「大覚寺」の号を賜りました、貞観18年(876)年から1150年目の記念として行われるものでございます。
大覚寺は華と心経の寺として信仰を集めてまいりました。「心経の寺」とは、嵯峨天皇が宗祖弘法大師のお勧めにより浄書なされた「宸翰般若心経」を安置奉っていること、また「華の寺」とは、大沢池に浮かぶ菊ヶ島に咲く菊を手折られ、殿上に挿花された姿が天地人の三才を備えていたことから「後世花を生くるものは宜しく之を以て範とすべし」と仰せになられたことを、いけばな嵯峨御流の源流とすることによります。殿上の挿花が、雨水の一滴となり、川にそそがれ、大きな海原へと広がるように、今日まで守り伝えております。
この度の記念の年を迎えるに当たっては、連綿と守り続けられてきましたことに対して報恩謝徳の誠をささげるとともに、この伝灯を後世へと伝え、また更に発展興隆していくことを期して、さまざまな記念の事業に取り組んでまいります。
まず令和7年1月には、東京国立博物館では「大覚寺展」を開催いたします。五大明王などの仏像、狩野山楽を始めとする障壁画などの寺宝をご覧いただきます。また今まで京都の大覚寺にお越しいただいたことのない方々にも、京都・大覚寺に参拝してみたいと思っていただける様、取り組んでまいりたいと思います。令和8年4月には、各教区寺院出仕の中で「大覚寺寺号勅許(開創)1150年記念法会」を厳修し、また大沢池の諸堂の整備とともに、古くから伝わっておりました天神島から名古曾の滝に向かう橋を架けさせていただきました。平安の世に渡りこむ場所になればと考えております。いけばな嵯峨御流では全国いけばな体験リレーをはじめ、青年部の発足など本年の御題「夢」に向かって嵯峨天皇の大御心を次世代につないでまいります。いけばなで環境を保全し、人々が安心して暮らせる平和な世界の実現に尽力します。そして子供たちの明るい未来につないでいきたいと思います。
大覚寺寺号勅許(開創)1150年という節目に巡り合わせた御法縁に感謝し、一味和合の中で守り伝えられてきた法灯を後世に学び・育み・伝えてまいりたいと存じます。
真言宗大覚寺派諸大徳各位、いけばな嵯峨御流門人の皆さま、大覚寺有縁の各企業関係各位におかれましては、最近のコロナ禍の世情にも拘わりませず、大本山大覚寺にご理解とご協力を賜り、宗会を代表して厚くお礼申し上げます。
さて、令和3年10月1日に発足した「大覚寺寺号勅許(開創)1150年記念事業実行委員会」におきまして委員長を拝命することとなりました。力及ばぬ点も多々あろうかと思いますが、皆さまと一緒に記念事業完遂に向けて努力して参る所存ですので、どうぞよろしくお願いいたします。
この委員会では、いくつかの事業を計画しており、特に令和7年にプレイベントとして開催予定の東京国立博物館における「大覚寺展(仮称)」は、大覚寺の名を全国に知らしめ大覚寺にお参りいただくきっかけになる企画として、個人的にも期待しております。
このたびの記念事業が、大覚寺にとって50年後・100年後の足がかりとなり、そして関わった皆さまが笑顔になるような事業として無魔成満できますよう、宗団、華道、大学は元より大覚寺にご縁のある様々な皆さまのお力をお借りしたいと存じます。そしてこのホームページをご覧の皆さまには是非ともこの記念事業にご参加いただければと願っております。
嵯峨天皇から嵯峨離宮を賜られた御皇孫 恒寂入道法親王が、貞観18年(876年)清和天皇の詔勅により大覚寺を開山されて以来、令和8年に1150年をお迎えになられます事、嵯峨御流華道門人一同、心からお慶び申し上げます。
このご慶事を機縁として、嵯峨御流がこれまでも大切に守り伝えてきたことを再認識し、未来へと伝承していくため、全国107司所が力を合わせて活性化に取り組んでまいりたいと存じます。
嵯峨天皇、弘法大師空海にゆかりが深く、また南朝歴代の御所としても日本史にその名をとどめる、ここ旧嵯峨御所大覚寺門跡で、こうした伝統を背景に、うつくしい自然の息吹にはぐくまれながら、嵯峨御流のいけばなは脈々と現代に受け継がれてきました。弘仁年間、嵯峨天皇は嵯峨野の地に離宮・嵯峨院(後の大覚寺)を造営、仙洞御所と定められ、離宮内には中国の洞庭湖に見立てた、日本最初の林泉、大沢池をお造りにもなりました。大沢池には「天神島」「菊ヶ島」の二島と、その間に画聖・巨勢金岡が配した庭湖石があります。この二島一石の配置は、そっくり嵯峨御流盛花の規範となっています。
嵯峨御流華道の精神は人々の求めるところとなり、大正10年、大覚寺内に「華道総司所」を設置して、全般の事務を統括するようになりました。以降100年を迎えた現在、コロナ禍に於ける世の中の急激な変化の後に現れるであろう新しい時代を見据え、そしてこれからの100年に、残すべきもの守るべきものを正しく見極めて次世代に繫いでいくことを目的として1150年記念事業を推進していきたいと考えております。指針とすることを3つの柱としては、
1「いけばなで環境保全」――多様な自然環境の保全――
2「平和の実現」――世界の人々と思いを一つに――
3「子ども達との取り組み」――子供たちを未来につなぐ――
ということを考えています。
1150年もの間、大本山大覚寺並びに全国の大覚寺派御寺院がたが、嵯峨天皇の大御心と弘法大師の御教えによって人々の幸せをお祈りされてこられたのと両輪たるべく、私共嵯峨御流華道の門人は、お花を通じて世界中の人たちに心の潤いをお伝えしてまいりたいと存じます。
どうぞこの度の慶事を機に全国司所にさらなる活気が生まれるよう、皆々様ともに知恵を出し合い、嵯峨御流ひいては華道の活性にお力添えを切にお願い申し上げる次第でございます。
大本山大覚寺が寺号勅許1150年をお迎えになられますこと、誠におめでとうございます。古からの長い歴史を改めて思い起こし、嵯峨野に脈々と伝わる文化の大切さを思わずにはいられません。
大覚寺のもとに、現在いけばな嵯峨御流と本学、嵯峨美術大学・嵯峨美術短期大学は両輪となって、社会への文化芸術の啓蒙と発展に力を尽くしておりますが、そもそも本学創立は50年前の寺号勅許1100年の折に、多くの皆様のお力により成し遂げられました。ご尽力賜りました皆様のお気持ちに深く感謝し、そのお気持ちと意思とを大切に継承していくべく、本学教職員一同、全力を尽くしてまいりましたが、寺号勅許1150年という節目に当たり、更に思いを新たに致しております。
当時は短期大学でのスタートでしたが、その後平成13年には四大ができ、更に大学院が創設され、本学は短大から専攻科、四大、大学院と、教育の内容、長さなどまで自由に選択できる豊かな構成を持つ美大となりました。
またジャンルにおいても伝統的な古画工房から、ポップカルチャーの分野まで幅広くラインナップされ、学生達は自ら望む内容の教育を受けられる体制が取られております。また学生たちは社会ともかかわりながら様々な活動を展開しています。
嵯峨天皇様はそれまで中国文化の需要が主流であった我が国の文化を、独自の日本文化として成立させる礎を築かれましたが、そのことにより我が国は現在も素晴らしい日本文化を保持し、その伝統を継承し更に発展させています。
文化芸術は常に生み出す努力が必要ですが、嵯峨天皇様の文化・芸術創造の姿勢と、大覚寺が宗祖と仰ぐ弘法大師空海の社会への啓蒙活動の姿勢を手本とし、本学はこの二つを建学の精神として、文化芸術の創造とそれをもとにした社会貢献をモットーとしてまいりました。こうした姿勢を保持し続けることができるのも、大本山大覚寺の長い歴史に培われた文化の厚みがあることにより、学生たちもそのもとにあるという誇りを持って活動してくれておりますことを心より感謝申し上げます。
最後に大覚寺のこれから益々のご発展と伝統継承を心よりお祈り申し上げます。