2017年4月8日 | 戊戌だより
来る平成30年に嵯峨天皇宸翰勅封般若心経1200年戊戌開封法会をお迎えする祝縁をもって、「秘鍵大師全国ご巡錫」を執行致しております。
本年の3月7日に大覚寺に於いて、ご巡錫奉送式を行ったのち、3月10日より徳島教区にてご巡錫を致しております。
3月11日には二ヶ寺目として徳島県徳島市にございます、津田寺さま(淺川英宏ご住職)に「秘鍵大師ご尊像」がご巡錫をなされました。
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津田寺さまの本堂
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本堂にお祀りされる秘鍵大師さま
今後、中国教区では9月下旬~10月10日にかけてご巡錫なされ、また、福岡教区では、10月12日~10月16日にかけて、ご巡錫なされます。
2017年3月31日 | 戊戌だより, 新嵯峨野物語

「新嵯峨野物語」第二十五話が、月刊「嵯峨」4月号に掲載されました。
冒頭一部をご紹介致します。
第二十五話 「忍び寄る乱世の跫音」
嵯峨太上天皇との親交があって、朝廷との関わりも深かった空海大僧都が遷化されて、臣民の身近な心の拠りどころが失われてしまった上に、時は容赦なく時代の息遣いも姿も変えていきます。承和二年(八三五)四月のことです。仁明帝は新たな時代の変化によるさまざまな変化を考えられて、次のようなことを発表致しました。「『易経』に上を損じて下を益すれば民が喜ぶとあり、安らかで倹しくすることが礼に適っている。王者はこの原則に従うことで、古今一致している。朕は才能がなく愚かであるが良き在り方に従い斉えようと思う。おごりをやめ倹約に努めたいというのは、早くからの朕の気持ちである。今いる朕の子には親王号を避けて、朝臣姓を与えることにする。嵯峨太上天皇は限りない御恩の上にさらに恩沢を加え、子を一様に源氏とし世々別姓を設けず本流も分派も同様とした」(続日本後紀)朝廷の内にもかなり源氏を名乗る者が入り、皇族の援護ができるようになっていましたから、今上は嵯峨太上天皇の為政を受け継ぐことを強調して、公卿たちに不安感を抱かせないようにしていらっしゃいます。
続きは月刊「嵯峨」4月号にて掲載しております。
月刊「嵯峨」の詳細はこちらから。
2017年3月31日 | 戊戌だより
来る平成30年に嵯峨天皇宸翰勅封般若心経1200年戊戌開封法会をお迎えする祝縁をもって、「秘鍵大師全国ご巡錫」を執行致しております。
本年の3月7日に大覚寺に於いて、ご巡錫奉送式を行ったのち、3月10日より徳島教区にてご巡錫を致しております。
同月16日には七ヶ寺目として徳島県徳島市にございます、安住寺さま(福住仁孝ご住職)に「秘鍵大師ご尊像」がご巡錫をなされました。
東照寺さまでは、ご住職をはじめ、平田僧正さまと共に法要を勤修し、蓮花寺の田中僧正さまに習い加持の後、結縁守りをお授けいたしました。お参りされた方は一様に笑顔でお帰りくださいました。
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秘鍵大師劔でのお加持
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ご法話のようす
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お祀りされる結縁守護守り
今後、中国教区では9月下旬~10月10日にかけてご巡錫なされ、また、福岡教区では、10月12日~10月16日にかけて、ご巡錫なされます。