関連用語データベース

一道無為心・観音菩薩・天台法華

キーワード

観音慈悲・蓮華・本来清浄・自性清浄心・仏心・仏性・あなたも私も観音さま
泥に落ちても根のあるやつはやがて蓮の花と咲く

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般若心経秘鍵

「観人智慧を修して深く五衆の空を照らす、歴劫修念の者煩を離れて一心に通ず」
「観在薩埵は則ち諸乗之行人を挙げ、度苦涅槃は則ち諸教之得楽を?ぐ」
「蓮を観じて自浄を知り、菓を見て心徳を覚る、一道に能所を泯ずれば、三車即ち帰黙す」
「観自在と言っぱ能行の人、即ち此の人は本覚の菩提を因と為」

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伝道標語集

「むさぼり深き人々の中に、むさぼりの心なく、こころたのしく住まんかな」『法句経』
「田畑は雑草によって損なわれ、人は貪欲によって汚される」『法句経』
「地獄は何れの所にかある、いづれかの自心の中に観ん」『十住心論』
「無智のものは夜叉を描きて、みずから描き、還ってみずから怖れる。衆生は三界を造って、みずから煎じ、還って、みずから煮る」『宗秘論』
「迷えば諸法みな三毒の境となる、一念迷うときは、頭上より脚下に至るまで、五天の形骸丸ごかしに煩悩無明となる」慈雲尊者
「怒れば地獄、むさぼれば餓鬼、恥を知らぬは畜生」
「心が濁れば行いが汚れ、行いが汚れれば、心が苦しむ」
「身近にしてその実体を知りがたいのは、我が心である」『秘蔵宝鑰』
「仏土を得んと欲せば、まさにその心を浄くすべし」『維摩経』
「無心のところ寿あり福あり」慈雲尊者
「心暗きときはすなわち遭うところことごとく禍なり、眼明らかなれば途に触れて皆宝なり」『性霊集8』
「地獄極楽は心にあり」
「一心に万行を摂す、万行すなわち一心なり」『心月輪秘釈』

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八葉蓮台諸尊

西北方 観音菩薩

■観音菩薩は、大悲者とも呼ばれるように、大慈悲を象徴する仏様です。深い大慈悲の心を持って、 衆生が苦しみ悩むさまをよくご覧になり、救いの手を差し伸べてくださるところから、観世音とも、また観自在ともいわれます。 ■観音菩薩は普門示現といい、どこにでも(普門)現れて(示現)衆生を導いてくださり、 さらに、苦しむ衆生を救うために最もふさわしい姿に身を変えて、ふさわしい方法で救ってくださいます。 『観音経』では、三十三体の変化身をとると説かれますが、その中には、仏の姿で導くのがふさわしい者には仏の姿で現れ、 子供の姿で救うべき者には子供となって現れるとあります。さまざまな姿をとるところから、十一面観音、千手観音、 如意輪観音ほか多くの名前で信仰されてきました。 ■蓮華のつぼみを開かせるように、私たちの仏心を花開かせ、 思いやりの心をはぐくませる徳を持った仏様です。 常にすぐそばで、観音様はさまざまな衆生に姿を変えて、私たちを見守り、導いてくださっています。

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仏教思想

天台教学

■天台教学は、華厳教学と共に中国仏教の精華であるといえる。 ■仏教が中国にもたらされて以来、原始経典も大乗経典も無差別に訳出され、 同じく「仏説」を冠する膨大な経典の間に、 内容的にも形式的にも無視しがたい相違が出てきた。 そこで、そのおびただしい漢訳経典の中でいずれを最高のものと考えるか種々の基準によって優劣を決め、 それによって、釈尊一代の説教を統一整理しようとする努力がはらわれた。これを「教相判釈(きょうそうはんじゃく)(教判)」という。 この教判(きょうはん)には、教判者の主体的哲学的な価値観も持ち込まれ、 新しい宗旨が成立していった。天台教学もそのようにして完成されていった。 ■天台宗は、慧文(えもん)、慧思(えし)(514か515〜577)の後を受けて第三祖智リ(ちぎ)(538〜597)によって大成された。 教判は五時八教である。五時とは釈尊一代の説法の順番として 華厳時、阿含時、方等時、般若時、法華涅槃時とする。八教とは化儀 (教化のありかたで分けられたもの)の四教(頓教、漸教、秘密教、不定教)と 化法(教説の内容から分けられたもの)の四教{(蔵教(小乗仏教)、 通教(『般若経』等)、別教(『華厳経』)、円教(『法華経』、「円」とは「円満」、「最高」の意)}である。 ■また教学は、 『中論』の三諦偈(「衆因縁生法 我即ち是れ空と説く 亦た是れ仮名と為す 亦た是れ中道の義なり」和訳 およそ縁起しているもの、 それを、我々は空であることと説く。 それは、相対の仮説{縁って想定されたもの}であり、それはすなわち、中道である。)に基づく三諦円融を唱える。 『中論』の本来の意味はおよそ次のようになる。 ■諸法は縁起して生じるものであり無自性であるので「空」である。しかし「空」自体に実体、自性があるわけでもない。 「空亦復空」でどこまでいっても「空」で、言葉で説明しようがない(言語道断)。そこで、仮につけた名称で衆生を導くのである。 それが「仮」である。また諸法には自性が無いので「有」ということはできない。しかし縁起生の諸法を全くの「無」とはいえない。 「有」と「無」を離れているので「中道」という。 ■以上の『中論』三諦偈の解釈を、智リはさらに独自に展開して、「仮」をあらゆる存在を仮にあるものとして、より肯定的に示すための概念 (真空妙有)としてとらえている。簡単にいってしまえば「空」はどこまでも「空」なので、再び「仮」の中に下り立った。そして「仮」 の中にいても決して「空」を忘れるなということで「中」が強調されたのである。 そして空は同時に仮・中であり、仮は同時に中・空であり、 中は同時に仮・空であり、円融している。これを「即空・即仮・即中」の三諦円融という。 そして諸法の実相をこの三諦円融として看取するのである。 さらにこの三諦を個々に観じとるのではなく同一時に観得しなければならないとし、 この天台の観法を「一心三観」と呼ぶ。また彼はこの空・仮・中を 「真諦・俗諦・中道第一義諦」とも「有諦・無諦・中道第一義諦」とも呼んでいる。 ■次に代表的な一念三千の思想が智リの『摩訶止観』にある。三千とはこうである。 『大智度論』あるいは『華厳経』に説く 地獄、餓鬼、畜生、修羅、人、天、声聞、縁覚、菩薩、仏の十界が互いに十界を具えているとして百の世界ができあがる。 また『法華経』「方便品」に諸法の実相の十のありかたとして、「唯仏と仏と乃(いま)し能く諸法の実相を究尽したまえり。 所謂諸法の如是相、如是性、如是体、如是力、如是作、如是因、如是縁、如是果、如是報、如是本末究竟等なり」の十如是があり、 百界はおのおのこの十如是を具えているので、これで千。またこの十如是がおのおの三種世間を具えているから三千となる。 この三千世界が一念(=一瞬)の心に存在するというのである。 一瞬一瞬の間に心の中にこの三千世界、つまり全世界が生じては消え生じては消え、 その無限の連続であると見る。 すなわち心が一切法であり、一切法が心である。これは主観と客観の絶対的相即論であり、 また心の経験的な鋭い観察の結果ともいえる。 ■また実践的な面では先ほどの「一心三観」に「止(心の動揺をとどめて、本源の心理に住すること)」の機能を追加して、 「円頓止観(えんとんしかん)」を掲げる。「円頓とは始り実相を縁ず。境に造(いた)るに即ち中、真実ならざることなし。縁を法界に繁け、 念を法界にひとしうす。一色一香も中道にあらざることなし。(中略)法性寂然なるを止と名づけ、寂にして常に照らすことを観と名づく。 初後を言うと雖も、二無く別無し。是れを円頓止観と名づく」 (『摩訶止観』)。この止観によって、まさに一切の諸法がそのまま実相であり、 真実ならざるものはないのである。 「一色」も「一香」も中道ならざるものはなく、この現象世界がそのまま絶対の真実となる。野に咲く花も谷川のせせらぎも、 我々の日々の営みも、そのままで仏の世界となる「妙有」の観得である(性具説)。こういった「即事(そくじ)而真(にしん)」の思想が 成立したのは隋から唐にかけての中国仏教の中においてである。 ■我が国へは伝教大師最澄(766〜822)が唐に渡り『法華経』 (円教)、牛頭禅(禅)、菩薩戒(戒)、密教(密)を四種相承し帰朝し伝えた。 よって、円、禅、戒、密の四種兼学を旨とした。 これによって、比叡山がその後も多くの学僧を集め、鎌倉仏教の諸宗を生み出す母胎となったのである。 また、南都の戒壇による具足戒は小乗戒であり、利他の行願を含まないので新たに大乗の戒壇を設け、 大乗円頓戒による得度の法を決めた。 またその著『山家学生式』の冒頭に有名な「国宝とは何物ぞ、宝とは道心なり。 道心ある人を名づけて国宝と為す。(中略)一隅を照らす、これ則ち国宝なり」がある。 ■空海はこれを『十住心論』では観自在菩薩の三摩地門とし、 第八「一道無為心」とする。また『般若心経秘鍵』では、『般若心経』の「無智亦無得。以無所得故。」 がそれにあたるとする。 『三昧耶序』では、「如実一道の心は、心垢を払って清浄に入り、 境智を泯して如如を証すというといえども、なおこれ一道清浄の楽にして、 未だ金剛の宝蔵に入らず」としている。 参考文献
高崎直道『仏教入門』東大出版界
木村清孝『中国仏教思想史』世界聖典刊行協会
鎌田茂雄『中国仏教史』岩波全書
三枝充悳『中論(下)』レグルス文庫
早島鏡正監修『仏教・インド思想辞典』春秋社
田村芳朗・梅原猛『仏教の思想5■絶対の真理<天台>』角川書店

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年中行事

三十三観音巡拝 ボランティア活動

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花と華道

観音
第一に夏のハスの花をあげることに説明は不要だろう。 また、やさしさを感じさせ、女性を象徴するような花、たとえば春のフジやモモをあげることもできよう。 さらに、観音がいろいろに姿を変える様子は、アジサイの七変化に通じると言えよう。

@ハス
ハスは古く中国から渡来したといわれる。 観賞用や食用として、池や沼や水田などで栽培する。 7月ごろ根茎より長い花茎を出して、その先に紅や白の美しい大きな花をつける。香りがよく、夜明けに開き、昼前にはしぼむ。
※大紅蓮大白蓮の夜明けかな 高浜虚子
※蓮の花ゆらりゆらりとちりにけり 村上鬼城

Aフジ
マメ科の落葉樹、野山に自生する蔓性の木で、 高さが10メートル以上になる。4〜6月に薄紫や白の多数の花からなる花穂を垂れ下す。 古くから棚に仕立てて観賞用に栽培されてきた。古来、松の木を男性に、藤の花を女性に喩えてきたという。
※白藤や代々の女の伏瞼ふしまぶた 香西照雄

Bモモ
中国原産、観賞用と果実用に栽培される落葉喬木で高さは5〜6メートル。 3〜4月にかけて桃・赤・白などのかわいらしい花をつける。 桃は古来より女性を象徴すると言われ、ひな祭りにはこの花を飾ってお祝いする。 また、桃が畑一面に咲いた様子は幻想的であり、さながら桃源郷の風情である。
※野に出れば人みなやさし桃の花 高野素十たかのすじゅう

Cアジサイ
ユキノシタ科の落葉低木、木の高さは1〜2メートル程度。 梅雨に入る頃、大型の球状に配列した多数の花を開く。 花の色は淡紫碧色で、はじめは白が勝っているが、次第に薄青色になり、のちに薄紅色になるので、俗に七変化とも呼ぶ。
※紫陽花の末一色になりにけり 一茶

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はなびら

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