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方便究意・秘密荘厳心・法界体性智・大日如来・般若菩薩・不動明王

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生死即涅槃・般若菩薩・般若仏母・不動明王の姿・即身成仏・仏性・悟り

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般若心経秘鍵

「医王之目には、触途に皆薬なり。解宝之人は礦石を宝と見る」
「顕密は人にあり、声字は即ち非なり」
「大般若波羅蜜多心経と者、即ち是れ大般若菩薩の大心真言三摩地法門なり」
「一一の声字は歴劫の談にも尽き不、一一の名実は塵滴之仏も極めたまうこと無し」
「一字一文法界に遍じ、無終無始にして我が心分なり」
「真言は不可思議なり、観誦すれば無明を除く、一字に千里を含み、即身に法如を証す」
「行行として円寂に至り、去去として原初に入る、三界は客舎の如し、一心はこれ本居なり」

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伝道標語集

「真言一切の法の母なり、一切の法の帰趨なり」『十住心論』
「あらゆる名句これ真言ならずということなし、凡百の施為これ密印にあらずということなし」『宗秘論』
「凡そ諸のあらゆる挙手動足、皆これ密印なり、所有の言語はすなわち真言となり、所有の心念、自ら定恵となり、万徳自ら厳る」『五輪九字秘釈』

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八葉蓮台諸尊

中央 大日如来

■大日如来は、大宇宙の根本の真理、いのちそのもののはたらきを体現した仏様です。 大日如来の智慧のはたらきは太陽にたとえられますが、太陽の光が昼だけで夜には存在せず、 また、外面は照らすものの内面まで届くものではないのに対して、この仏様の智慧の光は、衆生の煩悩の闇を除くのに、 時間や空間に限定されるものではなく、すべてのものに等しくそそがれるはたらき(除闇遍明)を持っています。

大日如来のいのちは、あらゆるものを支え持つ大地のはたらき(地大)、みずみずしい喜びをもたらす水のはたらき(水大)、 無智を焼き滅ぼす火のはたらき(火大)、煩悩の塵を吹き払う風のはたらき(風大)、虚空のように伸びやかであるはたらき(空大)、 そして、すべてのものに秘められた心(識大)という六大で現れます。私たち自身を含めた一切のものは、すべて六大で構成され、 大日如来の大いなるいのちを生きています。大日如来のグループを仏部といいます。

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五大明王

中央 不動明王

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年中行事

<通年行事>
後七日御修法
   毎年1月8日から14日にわたる七日間、大内裏真言院において修せられていた宮中行事であった。現在は東寺灌頂院において行われている真言宗所伝の最高極秘の大法である。玉体安穏と国家安泰・五穀豊饒を祈り、本来玉体を加持する秘法であったが、現在は御衣を加持することになっている。
 弘法大師がこの修法の勅許を仰いだ上奏文によれば、従来から御修法の期日に行われていた大極殿における最勝王経の講説と併せて修することで、顕密二教がそなわり、如来の本意に適って仏の利益を得ることができると述べている。
 この承和元年(843年)の奏上は勅許を得、これを奉じて修法されて以来、長く慣例となったが、室町時代には一時中断するに及んだ。その後、後水尾天皇が元和元年(1623年)勅許を下し復興した後は、紫宸殿か東寺灌頂院で行われるようになった。
 明治4年の勅会廃止により再び中断したものの、明治15年に勅許を得て翌年より、現在の東寺灌頂院にて御衣を加持する形で再復興し現在にいたっている。

施餓鬼会
   施餓鬼会は、元来、季節・期日が定まっていたわけではないが、いつのころからか、お盆の行事として定着している。施餓鬼会の儀軌は唐の時代に中国で多数翻訳され伝わっており、中でも不空三蔵の訳出が目立つ。この不空三蔵訳の儀軌が高祖弘法大師によってもたらされたこともあり、日本において施餓鬼会は、はじめ密教寺院によって行われていたものが、諸宗に広まったと考えられている。
 弘法大師は『秘蔵宝鑰』において、施餓鬼会本尊である五如来を五仏・五智に配して宝勝如来を南方宝生如来・平等性智の用、妙色身如来は東方阿?如来・大円鏡智の用、甘露王如来は西方無量寿如来・妙観察智の用、広博身如来は中央大日如来・法界体性智の用として、それらの智のはたらきによって利益がもたらされると説かれている。
 餓鬼は一般に、無縁仏や祀り手のいない迷える霊魂として見られていたため、中世や近世では、戦乱や飢饉・疫病、大火や災害の後、民衆を集めて大々的に行われることがあった。
 現在では、餓鬼に施食し救済することによって得られる功徳を、施者の祀る亡者・祖霊に回向し、その追善を図る行事として、特に初盆を迎える家の親族を招くなどしてお盆の前後に行われることが多い。

<通過儀礼>
初七日(不動)十三回忌・十七回忌(大日)二十三回忌(般若)

<行事・法会>
土砂加持法会
 光明真言により、土砂を加持する密教修法。『不空羂索神変真言経』を典拠とする。 加持された土砂は病人を癒し、人界以下に堕して苦しんでいる亡者も光明を得て極楽に往生すると説かれている。 鎌倉時代に、明恵上人高弁がその功徳を力説し、より盛んになった。
 寺院の年中行事であったり、定期的に修されたりする地域があり、現在でも、亡者の納棺にあたり、加持された土砂を棺に入れ、往生を願う慣習が残っている寺院も見られる。

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花と華道

方便
荘厳であでやかな花、花の中の花の王がこれにふさわしいと言えよう。 たとえば春のチューリップやボタンやバラなどをあげることができよう。

@チューリップ
ユリ科の多年草で草丈は20〜70センチ。9〜7月にかけ赤・ピンク・黄・オレンジ・青・ 紫・白などのお椀形の花を上向きにつける。
※チューリップ喜びだけを持っている 細見綾子
※チューリップ影もつくらず開きけり 長谷川かな女

Aボタン
キンポウゲ科の落葉低木で丈は50〜180センチ。 5月上旬ごろに赤・ピンク・黄・オレンジ・青・紫・白などの花を咲かせる。 この花は富貴草という別名もあるほど、豊かで美しいイメージを抱かせる。 俗には百花の王とも呼ばれる。ボタンの名所として、奈良県の長谷寺や当麻寺などが有名である。
※牡丹散て打かさなりぬ二三片 蕪村

Bバラ
バラ科の常緑低木で丈は種類により異なるが株立ち性のものは1〜2メートル。 6月ごろに赤・ピンク・黄・オレンジ・青・紫・白・緑・茶などの花を咲かせる。
※見るうちに薔薇たわたわと散り積もる 高浜虚子
※バラ散るや己がくずれし音の中 中村汀女
※手の薔薇に蜂来たれば我王の如し 中村草田男

参考図書 「合本俳句歳時記」角川書店、「花言葉・花贈り」池田書店、「水揚花事典」華道総司所。

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写経

写経によって得られる智恵の明りが法界に遍じ願いを成就させる功徳。

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はなびら

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標語集

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弘法大師事跡

五覚院の護摩行 秘鍵の講読

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説話

人々の福利を願って(究竟)
方便を究竟とす

 お大師さまを今でもたくさんの人がしたっているのは、深遠な理論から、今そこで苦しんでいる人を救うことまで、仏の理想を身をもって究めたからです。人々が喜んでいるときも、苦しんでいるときも、いつもそばに寄り添ってくれているから、同行二人なのです。流行病のため、都には今まさに死のうとしている人がいたるところにいて、屍がそこいらに放置され、ひどい異臭が漂っていました。元気なのは、屍を食べる犬ばかりでした。地獄がこの世に出現したかのような光景だったのです。
 お大師さまが般若心経の功徳を講じますと、結願にならないうちから病気が平癒する人が続出しました。生き返る病死人がいくらでもいたのです。夜の闇の中に光が射してきて、いつの間にか日光が照っているようでした。礼仏誦経も大切なのですが、済世利民という具体的に人々を救済することも重要なことです。人々に深い慈悲の心を向ける菩薩行ということです。お大師さまも、足跡を全国に残していますが、満濃池の修築はそのひとつです。満濃池はお大師さまの故郷の讃岐国にあります。幾度も破損し、土提が流れた万濃池の修築をするよう太政官符がお大師さまに下されたのは、弘仁十二(八二一)年のことでした。お大師さまは讃岐国出身で、その徳を慕う人々が多かったこと、唐の国で先進技術文明を見聞し、土木事業についての高度の知識と技術を身につけておられ、さしもの難工事も三ヶ月たらずで見事に完成し、一万町歩の田に水がゆき渡るようになりました。こうしてお大師さまは、多くの人々を幸福にし、千余年の間、この地方の農業生産に計り知れない恩恵を与え続けています。

 お大師さまが東寺を給預された時には、伽藍の計画はできていて、南大門や金堂などは建立されていました。しかし、五重塔や講堂などはまだだったのです。そこでお大師さまは、まず講堂と、ついで五重塔の建設にかかりましたが、在世中には完成しませんでした。講堂ではお大師さまの思想が多くの人に分かるように説かれています。立体曼荼羅といわれているとおり、『仁王経』の曼荼羅が彫刻され安置されています。五仏、五菩薩、五大明王、四天王、梵天、帝釈天が配され、国土安穏を祈願し、護国のための秘法を修し、教王護国の名のとおり天下安泰を誓願する道場なのです。お釈迦さまが教えを説かれた頃より時代が遠くなり、正しい教えが弱まって世の中は悪くなります。上に立つ人が仁を忘れ、下の人がよこしまな心になる世は、善神がこの国を見捨てて災難が起こります。国中の災いを取り除き、人の上に振りかかる災厄を払いたい時には、仁王経法を行うとよいとされています。病気にかからなければ薬もいらないのですが、世の中に悪が満ちてくれば、不動明王を本尊とした仁王経法という薬がどうしても必要なのです。如来は明王などの忿怒尊の力によってさらに偉大なる力をこの世に現します。仁王経法を修するということは、忿怒尊に力を発揮してもらうということです。忿怒尊である明王は五色の光を放って国内を照らし、多くの徳を現出するのです。その徳によってもろもろの神が喜んで威光を増し、天竜、夜叉などが力をつくしてこの自然を守るならば、人も安楽になって心も柔和になり、どのような悪鬼も入り込む隙間はありません。たとえば竜王が甘露の雨を惜しみなく降らせるならば、田畑の作物は実り、森の樹は繁茂し、人々は満ち足りて善神に守護され、どんな悪鬼も力を発揮することができないのです。
 お釈迦さまはその人の能力に応じた教えの説き方をしましたが、顕教というのはその人にあわせて説く教えです。病人ならばその病気の原因を明らかにし、原因に応じた薬を与えなければなりません。一方、密教は大日如来のさとりの内容であり、絶対的な薬なのです。
ただ経典の内容を説くだけでは薬の効能書きを読むに等しく、なんら効果は期待できないのです。実際に薬を飲むのに等しい効果は、法を修することによってはじめて得られ、密教はこの妙薬にあたるものなのです。

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