極無自性心・普賢菩薩・華厳
一即一切・調和・荘厳・みんな違ってみんないい・一隅を照らす
すべての衆生は仏性を秘めている(四無量心)
「色空と言之頤ば、則ち普賢願を円融之義に解き」
「色空もとより不二なり、事理元より来同なり、無礙に三種を融ず、金水の喩之其宗なり」
東南方 普賢菩薩
■普賢とは、すべての方面において勝れた方という意味を持っています。
布施、持戒、忍辱、精進、禅定、智恵という六種の修行(六波羅密)は、私たち仏教徒がなすべき修行ですが、
普賢菩薩は修行者の理想像であり、修行の誓願(行願)を象徴する菩薩です。『華厳経』では、衆生が理想の世界に生きるため、
絶え間なく終わりのない行を続けるべきことを普賢菩薩が説いています。
■六本の牙をつけた象に乗る姿で現されますが、六牙は六波羅密を指しています。
象に象徴されるような力強さで、六波羅密に代表される菩薩行の道を歩んで行こうということを意味したものです。
■お大師様は、万燈万華の法要の願文で、『華厳経』を引いて「虚空尽き、衆生尽き、涅槃尽きなば、我が願いも尽きん」と、
衆生済度の決意を述べておられますが、これこそ普賢菩薩の心であり、永遠に生き続けるお大師様のいのちそのものといえましょう。
華厳教学
■『華厳経』の伝訳後、それに基づく解釈学者や実践者があらわれたが、そのひとり杜順(とじゅん)
(554〜640)を開祖とし、智儼(ちごん)(602〜668)を経て法蔵(ほうぞう)(643〜712)によって大成された。
世親の『十地経論』に基づく地論宗{淨影寺慧遠(えおん)(523〜592)が傑出} と、唯識の綱要書である無着の
『摂大乗論』に基づく摂論宗の流れをうけて、さらには、『大乗起信論』の如来蔵縁起説を媒介として、
『華厳経』を解釈しようとしたのが、華厳教学である。
■教判は、法蔵が五教十宗の教判をたてる。それは、小乗教、大乗始教(『般若経』など「空」を説く教えと『解深密教』などの唯識思想をさす)、
大乗終教(『勝鬘経』や『起信論』などの如来蔵思想)、大乗頓教(『維摩経』)、大乗円教(『華厳経』)とする。円教と他の四教との違いは、
円教は個物がそれぞれ独立していながらしかも融和し調和しているという「重々無尽」、「一多融即」を説き、大乗終教との違いは、
終教では現実即理想を説くのに対し、現実の絶対肯定を主張する。さらに天台の現実の絶対肯定的世界(諸法実相の法門)との違いは、
華厳では現実の個物の密接な関わり方、関係性(唯心縁起の法門)を説いたところにある。
■中心となる教えは、「法界縁起」である。まず「法界」というのは、本来の真理の世界という意味も含めて、
この宇宙や世界のすべてが、それぞれに理法を守って決して乱雑することのない、個と全体の調和が保たれた世界をいう。
そしてこの法界に、事、理、理事無礙、事々無礙の四種の法界を挙げる。最初の事法界の事とは、現実に存在する一切のものを指す。
我々の日常生活を含めたごく日常の世界である。次の理法会の理とは、諸法が無自性で空であり、言葉を越えた絶対の真理(理体)を意味する。
第三の理事無礙とは、一切が縁起によって成り立ち、その本性は無自性空であるとする理体としての真如と、現象としての事の相即円融の関係を示す。
これは縁起している諸法を第一の現象世界、千差万別の事法界と、第二の無自性空の理法界の二方向から見たものであって、
それはどこまでも一つの世界にすぎない。その意味において無礙(妨げるものがなにもない)なのである。いわゆる相対即絶対、
絶対即相対の理論である。さらにこの現象世界の森羅万象をただ我々凡夫の目からすれば第一の事法界であるが、仏の智慧から見た時、
それぞれが独立しながら互いに調和し、さらに融通、無礙の縁起の関係が成立している世界、これを第四の事々無礙法界という。
その融通、無礙の縁起の根拠はまさに理法界の無自性であり空である。しかし、そこにはみごとな調和が保たれているので単なるカオスではない。
さらにその事は一即一切、一切一即であり、一瞬即永遠、永遠即一瞬であり、互いの主となり伴となり、
多くの鏡が照らし合うように互いに限りなく、互いの影を映し出すように(帝網)重々無尽に関わり合う世界が法界縁起である。
してみれば、一輪の菫の花に、宇宙の生命を見いだすことも、はたまた仏の命を見ることもできよう。
現象の中に寄託させて無尽の真理の世界を説くこの哲学的世界観(託事顕法)は、天台の「一色一香無非中道」にも通じようし、
密教の曼荼羅が仏の世界をあらわすといった見方にも通じよう。こでは理法界が後ろ側に隠れて、事々が絶対的な意味をもつようになっている。
■さらに法界縁起成立のもう一つの根拠として六相円融を説く。六相とは総別、同異、成壊の三対の概念でこれが互いに円融無礙の関係にあって、
一に他の五相が含まれて、しかも六相がそれぞれの理法を守ることによって法界縁起が成り立つという。
『華厳五教章』に「椽(たるき)と舎(いえ)」の譬えがあり、総相は全体としての屋舎で全体的統一。別相は椽などの部分で千差万別。
同相は椽や梁、瓦などが一つになって屋舎を造り上げているように、別々のものでも一つの全体を構成すると見ること。
異相はその差別、変異の面から見ること。成相は椽や梁、瓦などが各々縁となって一つの屋舎を成ずると見ること。壊相は椽は椽、
梁は梁、瓦は瓦というようにあくまでも本来の面目を保有して混じり合うことがない見ること。法蔵はこの「空」を基底にした六相が、
法界の無尽に縁起する潤滑油として機能すると説く。
■そして「性起」の説も見逃せない。「性起」の「性」は、人間に本来的に具わっている仏性、自性清浄心である。
「起」とは「顕現」、「発起」の意味で、仏性の現起することをいう。『華厳経』に、如来が衆生の内に如来の智慧がくまなく入り込んでいるのを
見て「奇なる哉、奇なる哉、徳相を具備して我が身と異ならず」とある。悪業や煩悩に悩み、無明の存在である我々の心そのものが仏の世界、
仏性のあらわれであり、この生死の世界がそのままで仏の世界であり、それ以外に仏性、性起は無いという。また『華厳経』に、
「心、仏、衆生、この三、差別無し」とある。このように如来蔵思想の顕著な影響をその教学に見て取ることができよう。この性起、
自性清浄心がすなわち如来蔵であって、唯識のアーラヤ識と合わせて心の表と裏と見ることができる。アーラヤ識は心生滅、如来蔵を心真如と呼ぶが、
自性清浄なる如来蔵に忽然と起こる無明を説明するといった機能をアーラヤ識にもたせている。しかしこの性起の教えも、心、仏、
衆生の無差別の教えも仏の言うことであって、仏の慈悲のなせるわざなのである。我々凡夫は「ただ如来の教えを信ぜよ」とある。
この「信」は『華厳経』「賢首品」に「信はこれ道の元にして功徳の母なり」とあり、「梵行品」に「初めて心を発す時に、便ち正覚を成ず」とある。
またこの性起は天台教学の性具説とよく似ているが、向上門(天台)と向下門(華厳)の違いがある。
■実践面では「海印三昧」と呼ばれる深い禅定を実践する。
■法蔵は則天武后の保護を受けて華厳宗は大いに勢力を伸ばす。その後、澄観(ちょうかん)、宗密(しゅうみつ)によってさらに盛大となるが、
最後はその教学を自家薬籠のものとした禅宗に吸収された。
■我が国へは新羅の審祥(?〜742)が良弁(ろうべん)(689〜773)に迎えられ、東大寺で『華厳経』を講じたのが初伝である。
それをお聞きになった聖武天皇がいたく感激され、後の大仏造営につながった。良弁はその後、日本の華厳宗を確立。
以来、東大寺を中心にしてその教学を今日に伝える。華厳宗は大乗仏教の基本としてその後も長く影響力を持ち、鎌倉時代には高弁、
凝然(ぎょうねん)のような高僧が出た。
■空海はこれを『十住心論』では普賢菩薩の三摩地門とし、第九「極無自性心」とする。また『般若心経秘鍵』では、
『般若心経』の「色不異空」より「亦復如是」がそれにあたるとする。『三昧耶戒序』では、「法界を融して三世間の身を証し、
帝網に等しくして一大法身を得というといえども、なおこれ成仏の因、初心の仏なり。五相成身、四種曼荼羅未だ具足することあたわず」とする。
参考文献
高崎直道『仏教入門』東大出版界
木村清孝『中国仏教思想史』世界聖典刊行協会
鎌田茂雄『中国仏教史』岩波全書
鎌田茂雄・上山春平『仏教の思想6無限の世界観<華厳>』角川書店
普賢
どんな野原の片隅であろうと、自分は自分だという誇りを持って咲いている花、
たとえば春のツクシやタンポポ、ナズナやハコベ、夏のツユクサといった雑草をあげることができよう。
@ツクシ
トクサ科の多年草で草丈は10〜20センチ。3〜4月にかけて開花する。
早春の摘み草として古くから親しまれ、ままごとに使った思い出は女性ならばだれにもあろう。
※まま事の飯もおさいも土筆かな 星野立子
Aタンポポ
キク科の多年草で草丈は15〜30センチ。2〜5月にかけて黄色の花を咲かせる。
その形が鼓に似ているので鼓草といい、鼓の音の連想からたんぽぽの名前がうまれた。
※たんぽぽや嬉しきときにでる泪 成毛克子
Bナズナ
アブラナ科の多年草で草丈は10〜30センチ。
2〜5月にかけて白色の小さな花を無数に咲かせる。道端のどこでも生えており、
実の形が三味線の形に似ているので、べんべん草とか三味線草ともいう。
※よく見れば薺はな咲く垣根かな 芭蕉
Cハコベ
ナデシコ科の越年草で草丈は10〜30センチ。
3〜9月にかけて二つに裂けた五弁の白い小さな星のような花を咲かせる。
茎や葉は鳥やウサギの餌となり、朝の光を浴びて盛んに開花するところから、あさしらげ(朝開けの転訛)の名前がある。
※栄達に遠しはこべら道に咲き 安住敦
Dツユクサ
ツユクサ科の一年草で草丈は30〜80センチ。
6〜9月にかけて藍色の花を咲かせる。月の光を浴びて咲くので月草、
蛍の光を思わせるので蛍草、その他にぼうし花、あお花などの異名がある。
※くきくきと折れ曲がりけり蛍草 松本たかし