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菩提・妙観察智・阿弥陀如来・大威徳明王

キーワード

即身成仏・如実知自心・行果・当相即道・柳は緑、花は紅、彼岸

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般若心経秘鍵

「夫れ仏法遥かに非ず、心中にして即ち近し。真如外に非ず、身を弃てて何んか求めん」
「其の解毒に随って薬を得ること、即ち別なり」
「一字一文法界に遍じ 無終無始にして我が心分なり」
「初めの規購(ギャテイ)は声聞の行果を顕し、二の規購(ギャテイ)は縁覚の行果を挙げ、 三の吾差規購(ハラギャテイ)は諸大乗最勝の行果を指し、四の吾差叔規購(ハラソウギャテイ)は真言曼荼羅具足輪円の行果を明かし、 五の始瑚泗爾(ボウヂソワカ)は上の諸乗究竟菩提証入の義を説く。句義、是の如し。 若し字相義等に約して之を釈せば、無量の人法等の義有り、劫を歴ても尽くし難し」
「医王之目には、触途に皆薬なり。解宝之人は礦石を宝と見る」

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伝道標語集

「六大は無礙にして常に瑜伽なり」『即身義』
「迷えば凡夫、悟れば仏」『金剛経』
「凡夫の心は合蓮華の如く、仏心は満月のごとし」『菩提心論』
「いかんが菩提とならば、曰く実の如く自心を知るなり」『菩提心論』
「我が自心の中に浄菩提心清浄の理あり」『秘蔵記』
「真俗離れずというは我が師の雅言なり」『性霊集10』
「明王誰人ぞ、己心本覚の菩提なり」『不動講式』
「衆生内心は妙法にして本来清浄なること蓮華の如し」『極楽都史本来胸中事』
「極楽都史多天は本来胸中にあり」『極楽都史本来胸中事』
「一切衆生は無始よりこのかた根本無明に覆い隠されて己が身中の大日如来を拝すること能ず」『真言教誡義』
「渋柿のそのまま甘し吊るし柿」

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八葉蓮台諸尊

西方 無量寿如来(阿弥陀如来)

■胎蔵界の無量寿如来は金剛界の阿弥陀如来と同じです。 無量寿はインドの言葉である阿弥陀を漢訳したもので、無量光とも呼ばれます。 計り知れないほどの寿命と光明を持った阿弥陀如来は、西方極楽浄土の仏様としてよく知られ、広く信仰されてきました。 ■夕焼けとともに、おだやかに一日が暮れようとする時のように、阿弥陀如来は、 修行によって得ることのできる静かな境地(菩提)を象徴する仏様です。 また、すべての衆生の苦悩や煩悩のさまをよくお解りくださり、 決して見捨てることなくお救いくださる仏様の智恵(妙観察智)の徳をそなえておられます。 衆生が尽きることがないために、仏様の大慈悲による救いもまた尽きることがないということから、無量寿と呼ばれるという解釈もあります。 ■蓮華が泥の中から出て美しい花を開くように、菩提心を持ちながら煩悩に覆われた衆生も、仏様の説法により、 菩提を得ることができることから、この仏様のグループを蓮華部または法部といいます。 私たちは皆、仏心を花開かせることができると教えてくれています。

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五大明王

西方 大威徳明王

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年中行事

<通年行事>
成道会 ※『峨山布教資料集』P43布教歳時記の12月
観月会 ※『峨山布教資料集』P37布教歳時記の10月
お盆の行事 ※『峨山布教資料集』P29布教歳時記の7月

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花と華道

菩提
散り際が鮮やかな花、あるいは咲いている様子が幻想的であり、 仏の世界を思わせるような花が、これにふさわしいと思う。 たとえば、春のツバキやゲンゲ田のゲンゲ、秋のマンジュシャゲなどをあげることができよう。

@ツバキ
ツバキ科の常緑樹。高さ2〜10メートル。12〜4月にかけて赤・白・ピンクなどの花をつける。 散るときは落椿の言葉どおりにポトリと首を落とす。
※赤い椿白い椿と落ちにけり 河東碧梧桐

Aゲンゲ
マメ科の越年草で草丈は10〜30センチ。4〜6月にかけて赤や白の花をつける。 花がはすの形をしているところから蓮華草とも呼ばれる。 かつては緑肥として植えられ、田園に美観を呈していたが、最近では耕作技術の変化に伴い、あまり見られなくなってしまった。
※げんげ田に寝て白雲の数知れず 大野林火

Bマンジュシャゲ
マンジュシャゲ科の多年草、草丈は30センチ程度。 秋の彼岸の頃、赤い燃えるような花を田んぼのあぜ道や川の土手などに咲かせるのでヒガンバナとも呼ばれる。
※天上へ赤消え去りし曼殊沙華 右城墓石
※むらがりていよいよ寂しひがんばな 日野草城

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写経

ギャテイギャテイ・・・の真言を書いているとき。

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はなびら

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標語集

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弘法大師事跡

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説話

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