2015年12月1日 | 戊戌だより, 新嵯峨野物語

「新嵯峨野物語」第九話が、月刊「嵯峨」12月号に掲載されました。
冒頭一部をご紹介致します。
平城天皇の突然の譲位によって、皇位に就くことになられた嵯峨帝は、まだ二十三歳という若さでもありましたが、現実とどう向き合うかということについて、朝廷を率いる者としての姿勢を明らかにしなくてはならないという問題がありました。日照りが続くことについては帝の願いでどうにかなるという問題ではありませんから、それで苦しむ農民たちを、少しでも救える手立てを考えるしかありません。まだ朝廷を率いたばかりの帝は、当面配慮しなくてはならない問題も抱えていらっしゃいました。内裏を明け渡して、新たな転居の場が見つかるまで、宮中の殿舎で暮らすことになられた上皇への気遣いということです。
帝はかつて上皇が親しくお付き合いしていらっしゃった、法相宗の学僧玄賓法師が、今は伯耆国(鳥取県)で隠遁生活をしているというので、次のような手紙を書かれました。
続きは月刊「嵯峨」12月号にて掲載しております。
月刊「嵯峨」の詳細はこちらから。
2015年11月2日 | 戊戌だより, 新嵯峨野物語

「新嵯峨野物語」第八話が、月刊「嵯峨」11月号に掲載されました。
冒頭一部をご紹介致します。
まったく予測しなかった伊予親王の謀反という事件に遭遇して、震撼とさせられてしまった平城天皇でしたが、ようやくその余波も鎮まってほっとしていらっしゃいました。ところが先年から起こっていた飢饉と、そのために発生する死者の数が増えるために、それだけ疫病が広がるという難問を抱えていたのです。大同三年(八〇八)の年明けは、帝にとって大変気が重くなる日々になってしまいました。
即位からやっと二年が過ぎたところでしたが、先帝の為政を理想として追っていこうとするために、現実主義的な生き方をしようとする公卿とは、しっくりといかないところがあったのです。現実には伊予事件が右大臣藤原内麻呂の力によって事なきを得たために、藤原北家の者たちには、無視できないものが生まれてきていました。
続きは月刊「嵯峨」11月号にて掲載しております。
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2015年11月2日 | 戊戌だより, 新嵯峨野物語

戊戌記念の一環として藤川桂介先生による小説『新嵯峨野物語』が月刊『嵯峨』において連載されてから、すでに8話を数えます。ここで舞台は嵯峨天皇の御代となりました。そこで、サブタイトルを「悲劇の皇太子たち」から「嵯峨王朝史」と改め、お話も次第に壮大な平安絵巻の時代へと突き進んでまいります。引き続き『新嵯峨野物語』をお楽しみ下さいませ。
小説扉絵も睦月ムンク先生の手により、秋の様相を意識した新しい画になっております。「新嵯峨野物語」をお読み頂けるのは月刊「嵯峨」だけでございます。どうぞ、購読のお申し込みやお問い合わせは、お気軽に大覚寺編集課までどうぞ。