2016年2月1日 | 戊戌だより
来る平成30年に嵯峨天皇宸翰勅封般若心経1200年戊戌開封法会をお迎えする祝縁をもって、現在、仏師藤田尚樹先生により大覚寺心経会ご本尊「秘鍵大師」ご尊像、そして、嵯峨御流ご始祖「嵯峨天皇」ご尊像を製作いただいております。
昨年7月1日午前の写経法会終了後、神仏を造顕する時に用いる木をお加持する儀式「御衣木」を行い、続いて藤田先生によるノミ入れ初めが行なわれ、多くの心経会員にもノミ入れをしていただきました。その後、造顕に取り掛かり、現在、作業の工程といたしましては、まず「秘鍵大師」ご尊像がこれから色付け作業となり、「嵯峨天皇」ご尊像については彫刻の開始となっております。2体の尊像の完成は今年の秋ごろを予定しております。
2016年2月1日 | 戊戌だより, 新嵯峨野物語

「新嵯峨野物語」第十一話が、月刊「嵯峨」2月号に掲載されました。
冒頭一部をご紹介致します。
弘仁元年(八一〇)十月、薬子の変の終結を知った空海は、高雄山寺からわざわざ宮中へやってきて、嵯峨院へ「五覚院」という帝の持仏堂を建立したいという請願をいたしました。帝の要請もあった変の鎮静化に貢献した空海の頼みですから、反対はありません。しかもそれが帝の安泰であることを祈願し、鎮護国家を願うためのものであるというのでなおさらのことです。申し出は直ちに許可されると同時に、空海は南都の東大寺の別当にも任じられました。
続きは月刊「嵯峨」2月号にて掲載しております。
月刊「嵯峨」の詳細はこちらから。
2015年12月24日 | 戊戌だより, 新嵯峨野物語

「新嵯峨野物語」第十話が、月刊「嵯峨」1月号に掲載されました。
冒頭一部をご紹介致します。
平城天皇(現上皇)から譲位されて即位された若い帝は、何かと気ぜわしい日々に追われているうちに、体調を崩すことが多くなっていらっしゃいました。大同五年(八一〇)七月になったころのことです。嵯峨帝はまたまた体調を狂わせてしまったのです。朝廷は古来諸国の国魂を集めて祀っているといわれる、石上神宮へ使いの者を送って病の平癒を祈願させたり、百五十人という僧に七日間薬師法というものを行わせたりさせました。
帝から気力が失われて、朝廷に不安が広がっていた九月六日のことです。突然上皇が平安京を廃して、都を旧平城京へ移すと宣言されたのです。つまり都をもう一度元の都に戻す還都をするというのです。
続きは月刊「嵯峨」1月号にて掲載しております。
月刊「嵯峨」の詳細はこちらから。