般若心経秘鍵に学ぶ~⑫~

般若心経秘(はんにゃしんぎょうひ)鍵(けん)に学ぶ⑫

 

 平成三十年に、大覚寺ご始祖(しそ)嵯峨(さが)天皇さまが、国民の安寧(あんねい)を祈願(きがん)して浄写(じょうしゃ)された勅封(ちょくふう)般若心経千二百年の節目を迎(むか)えるにあたり、般若心経の功徳(くどく)を讃(たた)え、その霊験(れいげん)を仰(あお)ぐべく、前号に引き続きましてお大師さまの著作(ちょさく)である『般若心経秘鍵』のお言葉に触れていきたいと思います。

 ~医(い)王(おう)の目(め)には途(みち)に触(ふ)れて皆(みな)薬(くすり)なり 解(げ)宝(ほう)の人(にん)は礦(こう)石(しゃく)を宝(たから)と見(み)る~

 

 右の般若心経秘鍵の一節は、物事(ものごと)の本質を見極(みきわ)めることの例えとして述べられたお言葉で「良い医者の目からすれば、道端(みちばた)に何気(なにげ)なく生(は)えている草(くさ)の中に薬草(やくそう)を見出し、宝石の専門家からすれば、色々な鉱石(こうせき)の中から宝石を見つけることができる」と申されています。

 冒頭に出てくる医王とは、すぐれた医者が患者の病気の本質を見極めて、その患者に合った薬(くすり)を処方し治療するように、私たち衆生(しゅじょう)も仏さまの教えによって安(やす)らかな心(こころ)となり救われることから仏(ほとけ)さまをすぐれた医者に例えたものです。特に数ある仏さまのなかで、薬師(やくし)如来(にょらい)さまを医王と申し上げます。「お薬師さん」という呼び名で馴染(なじ)みの深い薬師如来さまは、左手に薬(やっ)壺(こ)をお持ちになり、右手は「何も恐れることはありませんよ」と仰(おお)せになられているかのように手の平を外(そと)に向ける施(せ)無畏(むい)という印相(いんそう)をされているのが特徴(とくちょう)です。ご自身やご家族、親しい方の病気(びょうき)平癒(へいゆ)の願いをたて、ご利益を求めて薬師如来さまに詣(もう)でになられる方も少なくはないでしょう。

 そのような薬師如来さまの目(め)からすれば、私たちのなかにも薬草のような役立つところを見出して下さり、宝石のような貴重な部分も見てくださるとお大師さまは申されています。私たちは物事(ものごと)を見るとき、好き嫌い、良い悪いというように分別(ふんべつ)してしまいます。分別あるものの見方といえばよい意味で捉えられますが、仏さまの教えである分(わ)け隔(へだ)てない無分別(むふんべつ)な智慧(ちえ)をもってよく観察(かんざつ)すれば、この世界にあるすべてのものは、優れた価値を持つものであるというのがお大師さまの教えなのです。

 例えば、私たちの生活に目を移しますと、春から夏にかけて成長し、秋には黄色い花を咲かせ、風物詩となっているススキを抑制(よくせい)する外来種の背高(せいたか)泡立(あわだ)ち草(そう)という草(くさ)があります。俗(ぞく)に雑草の女王とも言われるこの草は全国的に広く分布(ぶんぷ)し、草引(くさひ)きをしようとしても根が深く、非常に厄介(やっかい)な草だとされます。これは雑草だから駄目(だめ)だと判断して除草剤(じょそうざい)をまいたりして取り除かれることが多いのですが、実はこの草は原産地の北アメリカではゴールドロッドと呼ばれ、蜜源(みつげん)植物(しょくぶつ)としてその蜂蜜(はちみつ)は大変人気があり、またその成分はアレルギーにも効能があるとされます。

 このように一つの草だけを考えても、見る人の価値観で大きく違います。ただ一つの基準しか持たない分別では雑草は雑草でしかありませんが、他方では、この草から蜂蜜が採取(さいしゅ)でき、薬としての効能があるという大きな価値を見出(みいだ)すことができるのです。

 そのような草や石だけではなく、私たちは、物事を見るときどうしても分別をつけて見てしまいます。周囲の評判や評価を鵜呑(うの)みにして、それをあたかも真実かのように捉(とら)えて、本来の価値や魅力を見失い、ついつい誤った見方(みかた)や見解(けんかい)をしてしまうことはないでしょうか。現代社会においては、インターネットの普及もあり、いつでもどこでも知りたい情報を得ることができる程、情報はあふれていますので尚更(なおさら)、物事の本質をしっかりと見極めるということが、少しなおざりになっているのかもしれません。

 お大師さまがご教示くださっている、仏さまの無分別な智慧をもって正しく物事を観察すれば必ずその本質を見極めることができるはずです。しかし、私たち判断する側が、智慧という明かりを灯(とも)さず、真っ暗な中、手探(てさぐ)りで決めてしまえば本質は永遠に見えることはないでしょう。私たちに求められるのは、智慧という明かりを灯せるよう仏さまの教えを信じて精進することであります。般若心経の読誦(どくじゅ)・写経(しゃきょう)もその方便(ほうべん)の一つであります。