旧嵯峨御所 大覚寺 門跡 DAIKAKUJI TEMPLE
法話
言海の花
 

十一月「弦」

◎揮毫/下泉恵尚 門跡猊下
◎挿花/華務長 長谷川喜洲

花材/椰子 漂白キウイ
   葉鶏頭 吾亦紅
   ストレリチア
花器/創作花器

楽器の起源は人類の文明と同じように古く、
いまさら辿りようもないが、
おそらくは身辺の木石を打ち鳴らした
打楽器のようなものから始まったのだろう。
それに比べれば弦楽器は相当に文明の程度が進んでいて、
そこには明確な音階の意識が成立している。
従って、世界のさまざまな民族が、
それぞれの音楽文化にふさわしい弦楽器を持つ。
いま、一瓶の中に、
世界中の地域に由来する花が出合う。
そのようなことが可能になった現代は、
多様に分化した楽器が再び出合って、
一つの和音を奏でることができる時代でもある。

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十二月 「連」 十一月 「彩」 十月「紅」 九月 「爽」  
歳時随想
 

ちくまん vol.24

歳時随想
「リンゴ」
 彼岸を迎え、心地よい風を感じるようになると、いよいよ秋たけなわである。 この季節の楽しみの一つは、旬の果物を口にできることだ。 蜜柑・梨・柿・葡萄と名まえを挙げればきりがない。 一年中店先で売られている林檎も、この時期のものがシャキシャキと歯ごたえも良く美味しい。

 女流俳人の児島節子は、

林檎むく生涯不器用なりにむく  
   講談社刊『花の歳時記』所収

と詠った。作者は不器用であり、リンゴの皮をむく手元は心もとない。 しかしそれを恥じることなく、これからもそれなりに続けていこうと心に誓っている。 作者は炊事以外のいろいろな面でも要領が悪いのかもしれない。 そのことも含めて、不器用で大いに結構と胸の内を明かしたのだろう。

 もちろん要領が悪く不器用なことは誇れることでないが、 すぐれた職人や一流の芸術家のなかには不器用な人が少なくない。 彼らはそれを真摯に自覚したからこそ、たゆまぬ努力を続けることができたのだ。 不器用さは人を輝かせる機縁ともなり得るのである。 私たちも作者のようにありのままの自分を気負わず受け入れることができる人でありたい。 それが私たちの成長のための礎となるに違いない。

教学研究室編集委員・新見 竜玄

 

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十三仏
 

ちくまん vol.20

十三仏
「〜金剛薩埵〜」

 金剛薩埵という仏さまの名前をお聞きになったことはあるでしょうか? お地蔵さんや観音さん、お薬師さんやお不動さんなどはよく聞かれる仏さまの名前で、皆さまの近所にあるお寺のご本尊さまも、そのような仏さまであることが多いことでしょう。しかしながら金剛薩埵という仏さまの名前を、お聞きになったことがある方は少ないと思います。今回は、その金剛薩埵という仏さまをご紹介いたします。
 金剛薩埵は、密教の教主大日如来と私達の接点にある仏さまで、すべての衆生の悟りを求める心、菩提心そのものであるとされ、その菩提心の堅さは金剛(ダイヤモンド)にたとえられます。十三仏では三十七回忌に導く仏さまとされており、ご真言は「おん ばざら さとば あく そわか」とお唱えします。「ばざら」は金剛、「さとば」は有情・人の意味で、意訳と音訳を合わせて金剛薩埵と称します。別称として、執金剛や金剛手、金剛主秘密王などがあります。

 お姿は、密教の世界を図画で表した曼荼羅に登場し、金剛界曼荼羅では身は肉色で右手に五鈷杵を胸前に斜めに持ち、左手に金剛鈴を持って腰に置く形等があり、五鈷杵は五仏(大日、阿閦・宝生・阿弥陀・不空成就)の三昧、金剛鈴はすべての衆生を驚かして菩提心を起こさせる意味があります。大悲胎蔵生(胎蔵)曼荼羅では右手を胸前に上げて三鈷杵を横たえて持ち、左手は金剛拳を結んで親指を前にして胸に当てた形で普賢菩薩と合体した姿として表現されています。『密教辞典』(法蔵館)によると、昭和元年に焼失した高野山金堂安置の秘仏や、現存する彫像として東寺講堂の五大菩薩中の金剛薩埵像や京都随心院の金剛薩埵像が名作であるそうです。

 ところで、真言宗には真言八祖という真言宗の教えが伝わった系譜があります。それは、一 大日如来、二 金剛薩埵、三 龍猛菩薩、四 龍智菩薩、五 金剛智菩薩、六 不空三蔵、七 恵果阿闇梨、八 弘法大師となっており、これを付法八祖と言います。密教は大日如来から金剛薩埵に伝授され、南インドの龍猛菩薩がそれを南天の鉄塔で受け、龍智菩薩に授け、その後中国に伝わり、八人目の弘法大師まで継承され日本に伝わりました。その付法八祖の二番目に金剛薩埵がおられることでおわかりのように、金剛薩埵は悟りを開く仏の代表であると同時に、密教を衆生に伝える重要な仲介者でもあります。大日如来から説かれた教えを、我々衆生に授ける「接点」の役目なのです。菩提心の堅さがダイヤモンドのようにたとえられるのは、やはり自らの悟りを開くと同時に、密教を伝えるにはそれだけの強固な心が必要であるということでしょうか。それ故、真言行者は行法を行う時の心得として、自分は仏の子であり、金剛薩埵であると自覚しながら行を行います。

 三十七回忌の卒塔婆に記される金剛薩たの偈文には「菩薩勝慧者  乃至盡生死  恒作衆生利  而不趣涅槃」とあります。真言宗で読誦されている『理趣経』の百字の偈の一部で「悟りを開いた者は、生死を尽くすに至るまで、恒に衆生の利を作し、しかも涅槃に趣かず」ということですが、この偈文は金剛薩埵のあり方を示しています。金剛薩埵は自己の問題を解決するだけではなく、進んで人を教化し、生涯を通して衆生の苦がなくなるまで精進するということを説いています。この『理趣経』は、大日如来が金剛薩埵のために、一切の諸法は本来が清浄であることを説いている教典で、真言宗では特に尊重している教典であり、お葬式や法事などにも読誦されています。教典の最後には毎日の早朝に読誦し、聴き、書写し、受持する等、この教典を信奉し、その教えを自らのものとしていくなら、金剛薩埵となってこの世の大楽が自らのものとなって願いはすべて成就されると説かれています。

 現世に目を向けてみると、今、金剛薩埵のあり方が非常に強く求められる世の中ではないでしょうか。自己の権利ばかりを主張し、義務を果たさない。ただ自分さえよければよいという風潮は、世の中の秩序を崩壊させかねません。そのような時こそ、まさに自己の菩提心を引き出し、自利利他の精神で金剛薩埵になるべく目覚める必要があるでしょう。人間は自己中心的になりがちで、煩悩にまみれて、本来持っている清浄な心が見えなくなります。しかし清浄な心は、誰の心からも消えることはありません。自らが、その清らかな心を曇らせているわけですから、自らが悟りを求めようとしたその時、その清らかな心を認識することは難しいことではないでしょう。金剛薩埵は、その清らかな心を悟りつつ、衆生の苦をなくそうと精進する強さを備えた仏さまであり、それはまた、常に自分の心の中に存在する仏さまなのであります。

教学研究室員 谷 亮弘

 

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はなびら
 
はなびら

−六根清浄−
「はなびら」vol.64より

文/黒沢 全匡
 

お彼岸の季節が近づいてまいりました。皆さんはお寺さんに読経していただいたり、お墓参りをしたり、お仏壇に御供えをしたり、それぞれのご家庭において仏さま、ご先祖さまへ感謝の気持ちを捧げ、ご供養をされることでしょう。形はどのようであれ、一番大切なことは、自身の体と心とを清らかにしてご供養に臨む、ということなのです。

よく行者さんや巡礼の先達さんなどが「六根清浄、六根清浄」と掛け声を出している姿を目にされた方もいらっしゃいますでしょう。この「六根」とは一体何なのでしょうか。

『般若心経』の一節に「眼耳鼻舌身意」と出てまいりますが、物事をとらえる五つの感覚器官(眼・耳・鼻・舌・身)と、その五つを動かしている心(意)を合わせた六つのことをいいます。この六つの感覚の根元を清らかにしていないと物事を正しく判断することができず、誤ったことを体と心が覚えてしまい、煩悩の渦に巻き込まれてしまうのです。ですから、この六根を清らかにしようと自分自身に言い聞かせ、煩悩を断ち切るために掛け声を出しているのです。

何かをしようとして自分を奮い立たせるときに、思わず「どっこいしょ」と声が出てしまうときがありますが、この言葉は六根清浄が詰まったものだと言われています。私たちは知らず知らずのうちに、体も心も清らかになりたいという一心で「どっこいしょ、どっこいしょ」と努力をしていたのかもしれません。

お彼岸は仏さま、ご先祖さまへのご供養はもちろん、自身が現世において善行を積むのに適した期間とされています。体も心も清らかになるように心掛けて、ご供養に努めたいものです。

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  vol63. お盆 vol62. 真言八祖 vol61. 懺悔 vol60. 閻魔大王の使い vol59. 出会えた幸せ
vol58. 六つのおつとめ vol57. 食べ物に感謝 vol56. 十善戒 vol55. 聞く  
季節の法話
3月 【1】おひがん 教学研究室
【2】お彼岸 大本山大覚寺 庶務部長 平松隆全
【3】遠きに行くに必ず近きよりす 『中庸』第十五章より
4月 【1】有因有縁 徳島教区・梅谷寺住職 後藤善猛
【2】菫(すみれ) 程な小さき人に生れたし 夏目漱石
【3】地を指せる御手より甘茶おちにけり 中村 草田男
5月 【1】四恩 (しおん) の徳 大本山大覚寺 教学部長 村上宥真
   
   
 
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