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十一月「弦」
◎揮毫/下泉恵尚 門跡猊下
◎挿花/華務長 長谷川喜洲
花材/椰子 漂白キウイ
葉鶏頭 吾亦紅
ストレリチア
花器/創作花器 |
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楽器の起源は人類の文明と同じように古く、
いまさら辿りようもないが、
おそらくは身辺の木石を打ち鳴らした
打楽器のようなものから始まったのだろう。
それに比べれば弦楽器は相当に文明の程度が進んでいて、
そこには明確な音階の意識が成立している。
従って、世界のさまざまな民族が、
それぞれの音楽文化にふさわしい弦楽器を持つ。
いま、一瓶の中に、
世界中の地域に由来する花が出合う。
そのようなことが可能になった現代は、
多様に分化した楽器が再び出合って、
一つの和音を奏でることができる時代でもある。
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ちくまん vol.25
歳時随想
「冬木」 |
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明けましておめでとうございます。平成22年のスタートです。
戸外の木々はすっかりと葉を落として静かに立っています。それは一見して淋しい姿ですが、どこか強い生命力を感じさせもします。
香川県に生まれ中村草田男に師事した俳人の香西照夫(1917〜1987)は、
あせるまじ冬木を切れば芯の紅
(角川書店刊『俳句歳時記』所収)
と詠っています。作者は俳句のため東京に転勤すべきかどうか迷っていました。
そんなとき太い幹と枝ばかりになった木を切ったところ、その芯が紅色だったことに勇気づけられ、これからも生まれた場所で実力を養おうと決意したのです。色彩に乏しい冬景色の中で「芯の紅」がひときわ印象的な句です。
作者の代表作であり、その句碑が2001年に高松市の宮処八幡宮に建立されました。
どんなときにもあせらないことは人生の大切な心構えです。いらいらとしてきたら、大きく深呼吸してみるのも良いかもしれません。
今できることを落ち着いてやり続けましょう。そうすれば春には枯れ木が葉をつけるように、いつの日かそれぞれにふさわしい花を咲かすことができるはずです。
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ちくまん vol.20
十三仏
「〜金剛薩埵〜」
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金剛薩埵という仏さまの名前をお聞きになったことはあるでしょうか? お地蔵さんや観音さん、お薬師さんやお不動さんなどはよく聞かれる仏さまの名前で、皆さまの近所にあるお寺のご本尊さまも、そのような仏さまであることが多いことでしょう。しかしながら金剛薩埵という仏さまの名前を、お聞きになったことがある方は少ないと思います。今回は、その金剛薩埵という仏さまをご紹介いたします。
金剛薩埵は、密教の教主大日如来と私達の接点にある仏さまで、すべての衆生の悟りを求める心、菩提心そのものであるとされ、その菩提心の堅さは金剛(ダイヤモンド)にたとえられます。十三仏では三十七回忌に導く仏さまとされており、ご真言は「おん ばざら さとば あく そわか」とお唱えします。「ばざら」は金剛、「さとば」は有情・人の意味で、意訳と音訳を合わせて金剛薩埵と称します。別称として、執金剛や金剛手、金剛主秘密王などがあります。
お姿は、密教の世界を図画で表した曼荼羅に登場し、金剛界曼荼羅では身は肉色で右手に五鈷杵を胸前に斜めに持ち、左手に金剛鈴を持って腰に置く形等があり、五鈷杵は五仏(大日、阿閦・宝生・阿弥陀・不空成就)の三昧、金剛鈴はすべての衆生を驚かして菩提心を起こさせる意味があります。大悲胎蔵生(胎蔵)曼荼羅では右手を胸前に上げて三鈷杵を横たえて持ち、左手は金剛拳を結んで親指を前にして胸に当てた形で普賢菩薩と合体した姿として表現されています。『密教辞典』(法蔵館)によると、昭和元年に焼失した高野山金堂安置の秘仏や、現存する彫像として東寺講堂の五大菩薩中の金剛薩埵像や京都随心院の金剛薩埵像が名作であるそうです。
ところで、真言宗には真言八祖という真言宗の教えが伝わった系譜があります。それは、一 大日如来、二 金剛薩埵、三 龍猛菩薩、四 龍智菩薩、五 金剛智菩薩、六 不空三蔵、七 恵果阿闇梨、八 弘法大師となっており、これを付法八祖と言います。密教は大日如来から金剛薩埵に伝授され、南インドの龍猛菩薩がそれを南天の鉄塔で受け、龍智菩薩に授け、その後中国に伝わり、八人目の弘法大師まで継承され日本に伝わりました。その付法八祖の二番目に金剛薩埵がおられることでおわかりのように、金剛薩埵は悟りを開く仏の代表であると同時に、密教を衆生に伝える重要な仲介者でもあります。大日如来から説かれた教えを、我々衆生に授ける「接点」の役目なのです。菩提心の堅さがダイヤモンドのようにたとえられるのは、やはり自らの悟りを開くと同時に、密教を伝えるにはそれだけの強固な心が必要であるということでしょうか。それ故、真言行者は行法を行う時の心得として、自分は仏の子であり、金剛薩埵であると自覚しながら行を行います。
三十七回忌の卒塔婆に記される金剛薩たの偈文には「菩薩勝慧者 乃至盡生死 恒作衆生利 而不趣涅槃」とあります。真言宗で読誦されている『理趣経』の百字の偈の一部で「悟りを開いた者は、生死を尽くすに至るまで、恒に衆生の利を作し、しかも涅槃に趣かず」ということですが、この偈文は金剛薩埵のあり方を示しています。金剛薩埵は自己の問題を解決するだけではなく、進んで人を教化し、生涯を通して衆生の苦がなくなるまで精進するということを説いています。この『理趣経』は、大日如来が金剛薩埵のために、一切の諸法は本来が清浄であることを説いている教典で、真言宗では特に尊重している教典であり、お葬式や法事などにも読誦されています。教典の最後には毎日の早朝に読誦し、聴き、書写し、受持する等、この教典を信奉し、その教えを自らのものとしていくなら、金剛薩埵となってこの世の大楽が自らのものとなって願いはすべて成就されると説かれています。
現世に目を向けてみると、今、金剛薩埵のあり方が非常に強く求められる世の中ではないでしょうか。自己の権利ばかりを主張し、義務を果たさない。ただ自分さえよければよいという風潮は、世の中の秩序を崩壊させかねません。そのような時こそ、まさに自己の菩提心を引き出し、自利利他の精神で金剛薩埵になるべく目覚める必要があるでしょう。人間は自己中心的になりがちで、煩悩にまみれて、本来持っている清浄な心が見えなくなります。しかし清浄な心は、誰の心からも消えることはありません。自らが、その清らかな心を曇らせているわけですから、自らが悟りを求めようとしたその時、その清らかな心を認識することは難しいことではないでしょう。金剛薩埵は、その清らかな心を悟りつつ、衆生の苦をなくそうと精進する強さを備えた仏さまであり、それはまた、常に自分の心の中に存在する仏さまなのであります。
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−行列の秘密−
「はなびら」vol.66より |
文/教学研究室編集委員 好井瑞皖
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ある新聞のコラムに、次のような話がありました。
東京・吉祥寺の和菓子屋さん。三十五年間毎朝、客が行列をつくる。お目当ては羊羹。一日限定百五十本。一人五本まで。三十番目までに滑り込まないと買えない。なぜ、それほどまで人気が続くのか。秘密は女性経営者の三つのこだわり。「小豆は北海道産」「小豆は三升より多く一度に炊かない」「仕上げの練る工程では、炭火を用いる」。これでいくと一回の工程で五十本が限界。一日に三工程分しかつくれない。しかし、先代から引き継いだこのこだわりの「羊羹道」をかたくなに守り続けているからこそ、お客が離れない。
生産を増やせば売れる…。悪魔のささやきに耳を貸さないのは、先代の言葉が胸に残っているからだ。「預金通帳のゼロを増やすより、お客の信用を増やしておけば、どんな災禍がおきても戸板一枚で再起できる」と。*1
利益第一、効率第一の世知辛い今の世の中、この和菓子店の経営者の愚直ともいえる姿勢がお客の信用を得ているのはまちがいありません。北海道、三升、炭火…、作業している現場を誰かが見ているわけではありません。「もっと楽をして、もっともうけろ」という悪魔のささやきに一切耳を貸さない経営者。何十年もの間、毎日正直につつましく、ただただお客の「おいしいね」とほころぶ笑顔を念じながらこつこつと羊羹を作り続けて来られました。
その羊羹の包みには「おわび」と書かれた紙がはさまれているそうです。「昔ながらの羊羹をこしらえますには、現在の量が、私共でできます精一杯の本数でございます。ごふべんをおかけして申し訳ございません。お許しくださいませ」と。
こころはふるいたち、思いつつましく、行ないは清く、気をつけて行動し、みずから制し、法にしたがって生き、つとめはげむ人は、名声が高まる。*2
大切ものが激流にのまれるように失われていく昨今、「羊羹道」にひたすらはげむ彼女こそ、このお釈迦様のことばがふさわしい、現代の求道者といえるでしょう。
*1. 平成18年9月30日の日経新聞コラム「妙な話」より
*2. ダンマパダ24 中村元訳『ブッダの真理のことば 感興のことば』岩波文庫
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