『般若心経秘鍵』に学ぶ ④

 

大般若波羅蜜多心経だいはんにゃはらみったしんぎょうといっぱ、すなわちこれ大般若菩薩だいはんにゃぼさつ大心真言三摩地法門だいしんしんごんさんまじほうもんなり~

この一文は般若心経の大体だいたいの意味するところで「おおいなる般若心経とは、すなわ偉大いだいな般若菩薩の大心だいしんという真言によって深い禅定ぜんじょうの世界に入るための教えである」とお大師さまは申されています。

般若菩薩とは、智慧ちえ象徴しょうちょうとしての仏さまで、智慧を生み出す母体ぼたいということで仏母ぶつもとも呼ばれています。智慧とは私たちが一般的に用いるあたまの働きとしての意味ではありません。例えば、子供の運動会に行けばが子を優先ゆうせんして応援おうえんするのが親の心情しんじょうでありますが、仏さまであれば、みな健闘けんとうを祈り、へだてなく全員を応援してくださいます。それが、いつくしみの心をもって、物事ものごとを正しくとらえる仏さまの智慧です。 

「大心」とは、中心ちゅうしん要点ようてんという意味ではなく、お大師さまは大宇宙の真理そのものだとかれています。そして、「大心真言」は般若心経の最後に出てくる「ギャーテーギャーテー」を指しています。これが般若心経の真言であり、真言とは絶対的真実の言葉であります。私は小さな頃、わるさをして親にひどくしかられた経験をしました。その時には、ただ泣いてしまいましたが、そのとき叱ってくれた親の言葉は今日こんにちの自分にとって良い成長につながり、正しい方向に導いてくれた言葉としてこころの引き出しに大切におさめています。そのようにまことの慈悲じひから相手をおもんばかる言葉、心のかてとなって、もはや言葉ではなくなった言葉、言葉では言い表すことのできない大宇宙の真理にもつながる神秘的な言葉が真言であります。

そのような意味から、般若心経を読誦どくじゅ写経しゃきょうすることは、般若菩薩の智慧の真言を、私たちの心に深くきざんでいることにほかなりませんし、その智慧のともしびは、心の暗闇くらやみともす明るい光となり、禅定というやすらかな心の世界を創造そうぞうするのであります。

 

~この三摩地門さんまじもんは、ほとけ鷲峯山じぶうぜんいまして鶖子等しゅうしとうのためにこれをきたまえり~

般若心経の教えを説かれた場所について「安らかな心の世界を創造するこの般若心経は、お釈迦さまが鷲峯山じゅぶせん(霊鷲山りょうじゅせん)におられるとき、鶖子しゅうしたちのために説かれたものである」とお大師さまは申されています。

お釈迦さまは、三十五歳の時に菩提樹ぼだいじゅの下でおさとりを開かれてから八十歳の入滅にゅうめつを迎えるまでの四十五年間、各地を巡って説法せっぽう教化きょうけの旅をされています。その説法場所の一つが鷲峯山(霊鷲山)であります。この山はインド北東部のネパールとの国境にも近い場所にある小高い山で、その名の通りわしつばさを拡げたようなすがたをしています。この場所において、鶖子(弟子たち)のために、般若心経を説かれました。鶖子の中のひとりが、般若心経に登場する舎利子しゃりしです。舎利子はお釈迦さまの十大弟子の中で智慧第一とされる方で色々な経典きょうてんのなかにお釈迦さまの問答もんどう相手として登場されます。

 

観自在かんじざいといっぱ能行のうぎょうにん、すなわちこのにん本覚ほんがく菩提ぼだいいんとす~

ここでは、般若心経の冒頭に登場してくる観自在菩薩かんじざいぼさつについて「観自在菩薩という仏さまは、まことに深い智慧である『深般若じんはんにゃ』を観ずる修行をされる人である。なぜなら観自在菩薩は、人間が本来持っている悟りを求める心を修行の出発点とされているからである」と申されています。

まず、観自在菩薩というのは仏さまの名前としてあまり聞きなれない言葉だと思いますが、良く耳にする観音菩薩かんのんぼさつと同じ仏さまです。

観自在菩薩は、衆生を救済きゅうさいしたいという誓願せいがんを立て、それを成就じょうじゅさせるために、救いを求める者のところ(こちらの岸・此岸しがん)に自由自在に現れ寄り添ってくださる仏さまです。いつでも向こうぎし彼岸ひがん(悟り)に渡ることができるのに、えてこちら岸にとどまっておられる私たちにたいへん身近な仏さまです。

お釈迦さまのを受けて般若心経の教えを私たちに説かれているのがこの観自在菩薩であり、私たち誰もが皆持っている「悟りを求める心」に私たち自身が気づくよう見守って下さるのがこの仏さまであるということを、お大師さまのこの一文からのメッセージとして受け取ることができます。